no vision の方ね。音声メディアだ。
毒されて、打ちのめされている。
最初は朝日新聞ポッドキャストで、ディレクターの上出さんが出演していた回を聴いて、興味を持った。
ドキュメンタリーが好きで、僕の網に引っかからなったのが不思議な程にどストライクな内容。聴いて、ドハマりするのは予想していたけど、ここまで打ちのめされるとは…
いろんなエピソードがある。右翼左翼の活動家から、性風俗従事者、脱北者や元ヤクザのソフトボールチーム。日本の、マイノリティ、とは言うべきではないのだけれど、珍しい来歴の人達のお話。
何故生きるのか?って問を抱いて、30年以上が経過したのだけれど、未だ答えは得られずにいてさ、no vision聞いて親ほどの世代の人や、僕より若い人達、しかもそこそこ極端な世界に生きている人達の話を聞いて、その人達でさえ、正解を主張するのではなく、謙虚というか、ありのままの想いを語る。
打ちのめされたよね。僕如きが正解にたどり着けなくて当然って言う諦めに似た慰めと、頭の中だけで考えて動けていない僕の不甲斐なさに。
とはいえ、だ。
打ちのめされていたとしても、僕は自分の首を掻っ切る勇気もないし、そこまで絶望もしていない。
映像ではなく、音声であることが微妙な距離感を維持してくれていて、打ちのめされて絶望することなくいられている原因なのだと思う。
あと、日本の話ってのも大きいと思う。日本で言うマザーランドの話は、映像だったら重すぎて、きっと違う反応を僕にもたらしたと思う。
音声であることが、適切な距離感を作ってくれていると思う。
ワガママだけども、僕は今のママではイケナイと思う反面で、今のママでも十分に幸せだと感じている。
今の幸せをベットしてまで得られる幸福ってあるのかな?って想像の中で暴れるに留めて、何もしない口実にしている。
そんな僕を大きく揺さぶる、no vision。
映像の方は、上出さんの本を読んで、見ていたことを思い出した。リベリアの元少年兵だった娼婦のお話を読んで、これ見たことある!って思い出した。
でも、それは僕の日常ではない遠い世界の話になってしまって、揺さぶられるけど、僕自身を反省するのには遠すぎるのだ。
まぁとにかく聴いて見てよ。