幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

飽和

なんかさ、やらなくてはいけないと思うことが多すぎて、何も手に着かないってことない?

今、僕はそんな感じで、こうして書き始めたのだけれども、何を書こうか手を泳がしてしまう。

 

書きたいことは、たくさんある。ウクライナの事や、最近転職してパワハラ受けたとか言っている友人の事とか、最近子供ができたって言ってる友人の事とか、コロナの事とか。ネタは豊富で、何から書いて良いのやらって感じになっている。

 

残酷なもので、当たり前のことではあるのだけれど、時間はあっと言う間に過ぎ去ってゆき、僕の逡巡やら、戸惑いなんかを置き去りにして、さっさと行ってしまう。

 

まぁ僕は残念なことに、これまでの人生の10%くらいはこんな風に使ってしまっているから、通常営業っちゃ通常営業なんだけれども。

 

で、結局、僕はお酒に逃げる。と言うか、家や平日はお酒飲まないから、コロナだし、週末に電車の中で飲むようにしているから、こちらも通常営業だけれども。まぁ逃げなんだとは思う。

 

昨年7月に転職をして、収入が大幅にアップした。1.7倍。と、言っても元々の収入が低かっただけで、世間的に高給取りって訳でもない。仕事はそれなりに可もなく不可もなしって感じで、生活するための仕事と割り切れば高待遇な上に楽だし、ストレスは無い。と言うか、むしろストレスが無いのがストレスってのまである。自分がベストエフォートで仕事してない事に対する罪悪感?みたいなものを感じている。

 

塾の先生してた時には、自分の努力やパフォーマンスに対して給料が安いと感じていたけれども、やり甲斐はあって、意義ある仕事だと自認できていた。今の仕事は、待遇面は畏れ入ってしまうのだけれど、やり甲斐やら何やらではやっぱり塾の先生には敵わなくて、無いものねだりなのだとは重々承知した上で、こうして愚痴をタラタラと書いてしまう。

 

自分が本当に情けなくてさ、情けなさに打ちのめされて悲劇のヒーロー気取ってたのが、これまでの僕。

 

本当に恥ずかしくて、情けなくてさ、それを誤魔化す為に、賢しらぶって論理的に自己弁護したり、自分の外に正しさを求めて、無理やりな理屈付けて、自分だけで納得していたり…

 

あ〜自分面倒くさい(笑)

 

でも僕は僕以外にはなれなくて、こんなクソみたいな僕を、否、クソみたいなではなくて、本当にクソな僕にどうしたら自信を持てるのだろうか?

 

あぁこれもきっと自分カワイイって言う免罪符なんだけれども、その免罪符を見つめてやっと分かった。僕はきっと、43にもなって子供なんだな。

 

ブレブレな僕。

 

そんな僕は、18切符を買って、宇都宮のスーパー銭湯に行って、気持ちよくて、明日はどこのスーパー銭湯行こうか悩んでる。

 

午前中までは、人生に悩んでいたはずなのにね(笑)

 

僕なんかこんなもんなんだろうな。

 

ウクライナの市民が今を生きようと必死になっているのに。いや、ウクライナとかそんな遠くに想いを馳せなくとも、僕が知らないだけで、ほんの数キロ圏内には、明日をどう生きたら良いかと苦しんでいる人はいるだろう。僕はたまたま、今、運良く明日の銭湯に悩めるだけであって、6,7年前はどうやって、どんな、どういう意味の、死を迎えるかばかり考えていた。でもさ、死ぬのは怖くて、考えていた死に方のどれも取れずに今生きていて、明日どこの銭湯行くか悩んでいる。

 

もし、僕が爆弾が仕込まれたベストを着て、プーチンを巻き添えにして爆散するなら、その人生に意味はあるのだろうか?もし、確実にそこまでお膳立てしてくれたとしても、僕はきっと悩むと思うんだよね。

 

死にたくはないのね。んと、死ぬこと自体は受け入れたって言うか、どこかで諦めたと言うか。でもさ、それは生物として死ぬことや老いることが避けられえない事だし、諦めに近い諦念で、その時を迎えるまでは僕は僕が幸せになる為に足掻くつもりでいてね…

 

あ〜サウナ入って気持ち良くなってるな(笑)

何を言いたいのかな?

 

それすらわからん(笑)

 

明日どこ行こうかな?