幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

予告

いや、そんな大層な事ではなくて、単に書きたいのだけれど、書ききれないので、忘れないうちに頭出ししたいってだけなんだけどね。

 

1つは「ズルイ」と言う心理。

2ch·5chのまとめ動画をよく見ていて、よくセコケチやらクレクレのスカッと系動画で聞くのが、この「ズルイ」という言葉だ。

どう言った文脈で言われるかというと、非常識なセコケチ、例えば、ママ友間での窃盗事件で犯人側の動機として言われる。これってさ、突き詰めて行くと、無敵の人理論に通じる理屈だと思う。

セコママの言うズルイは、まとめ動画になるほどに無茶な理屈だと期待され、再生回数から見ると、その評価は比較的広く受け入れられているものだと思う。

僕自身は、どちらかというと、気が荒いので、敵対する相手に対して遠慮なく暴力でもなんでも使って対立関係を受け入れる。だから、と繋げて良いのかわからないのだけれど、僕に対する敵対に対しては相手の悪意を根拠にして対立することができる。けれど、ガッツリ氷河期世代の30代後半を非正規雇用で過ごした経験があるけれど、それを理由に無差別に誰かを攻撃することは出来ない。でもさ、無敵の人やセコケチママも、相手がなにかした訳じゃなくて、相手の属性やら状況によって恨みを代替的に向けている事だと思う。それって、ある種の狂人の理屈だよね。マッドマンメソッドじゃないけど何をするかわからないって恐怖はさ、周りを萎縮させる。理解を超えた存在に対して理解しようとするのは、対処する端緒を捉えたいからだと思うのね。けれどもさ、無敵の人って言葉がある意味で象徴しているのはさ、端緒を捉えようとした結果、理解ではなく、共感を得てしまっているのだと思うのね。つまりはさ、ズルイって言葉が含む、過度な平等意識に対する正義の実施を望む気持ちに対して、僕らはいくばくかの共感を持ってしまっているんじゃないかと思う。

そんなことを書きたいと思っている。

 

もう一つは、僕らは望んだ事しか出来ないって言う事実と、儘ならぬ現実のギャップについて。実は僕らは望んだ事しか実現出来ないし、僕らはきっと、恒常性、ホメオスタシス、今より悪くなることへの恐怖が、起こり得る未来と望む未来とのギャップを生んでいるんじゃないかと思う。

 

それぞれを僕はもっとちゃんと書きたいと思っている。

 

なので予告って事でさ、書いて見たんだ。