やかましいわ!
底辺職ランキングに批判が高まっているらしい。
当然っちゃ当然なんだけど、でもさ、どっかで納得してしまう部分ってない?悲しいかな、僕はちょっと納得しちゃってる。だってある意味で事実だから。
いろんな職業がランキングされているけど、共通しているのは、専門性が少く、利益に繋がりにくい構造の職業であることだ。
でもね、どの仕事だってなくてはならない仕事だと思う。そして、実はどの仕事もタレント性の高い仕事なんだと思う。
タレント性の高さは、きっと底辺職だけじやなく、ありとあらゆる職業において言えることなのだけれども、所謂、底辺職は業界と言うか、ポジション的にと言うか、コストセンターである傾向が強くて、その仕事のクオリティよりも、その仕事に掛かるコストを削減する方が全体の利益に繋がると思われている。
それ故に、クオリティの競争よりもコストダウンへのインセンティブが強く、個々の技能の向上よりもコストとバランスするレベルのクオリティで落ち着いてしまい、タレントが育たない構造になっている。
底辺職から漏れてはいるけど、同じ構造なのが塾講師だと思う。
僕の生きてきた40年のうち、いつ時代にだってテレビに出てくるようなカリスマ講師ってのはいてさ、今は林さんなのかな?彼のように日の目を見る講師もいれば、ポスドクみたいな所謂ワーキングプアな状況にある人もいる。実は土方も同じでさ、土方やってる全員が貧しいわけじゃない。それこそ、そこらの地方公務員よりも給料は良い人は多いだろうし、国家公務員に比べたら雲泥の差で、瞬間的収入や安定性って観点で言えばコスパは断然土方の方が良い。たださ、公務員の世界に比べたら圧倒的に組織力と言うか、ルール化が遅れている業界だと思う。
要するにさ、底辺職なんて概念が生じるのは、評価基準の不全なんだよ。
多種多様な価値観を認めたら、底辺職なんて概念は生まれない。でもさ、ルールの基礎が価値観で有る限り、単一の価値観に収斂されてしまう組織や構造と言うのは、あればわかり易いけど、そんなものはなくてさ、それでも、人の、人間の価値観世界ってのが、仮想的に創り出す共感出来る価値観が底辺職なる画餅を創り出すのだと思う。
総合的な価値観でのパフォーマンスでは、優劣なんてつくはずがないんだよね。
だから僕らはきっと、やりたいように願いながら、誰かから承認してもらえるように生きるのが一番幸せなんじゃないのかな?そしてそれをつまらない人生とかって自嘲できたら幸せじゃないかな?
そんな風に底辺職と言われる僕は思ったよ。