上手なれ
って言うんだっけ?
または、
下手の横好き
とも言う。
この対立的な慣用句はよくよく世の中の真をついていると思うのだ。
塾の先生やっていた関係か、あるいはもともとそんなのが好きなのかはわからないのだけど、偉人たちのエピソードを多少知っていてね。その中で、塾の先生界隈で有名な作文があってさ、イチローと本田圭佑だったか?小学生の頃の作文が秀逸だと言う話。
簡単に言ってしまえば、将来の夢に具体性があったって話なんだけどさ、夢って言う曖昧なものに具体性があったら、そりゃ夢でなくて計画なんだろうって話。それが、小学6年生、11歳かそこらで作れてるって言うのが凄いんだけどさ、実は僕はそんなに凄くはないと思っている。
先日、2歳の甥っ子が家に来たのね。もう、本当に可愛くて、本当に人生観変わるくらい可愛かった。
いや、そうじゃない、甥っ子の可愛さを伝えたいのではないのだ。2歳で、彼は東北新幹線を走る電車の種類を、若干怪しげではあるが覚えているのだ。なんでだろう?って思うんだよね。僕はそこまで電車は好きでは無いし、いや、そもそも電車そのものよりも、移りゆく車窓の景色を眺めるのが好きだ。
家の近くを東北新幹線が走っていてね、それを見に行った時にさ、走る電車を見て
チュバサー!
コマチィー!
はゃぶしゅ?
かわいいでしょ?(笑)
2歳かそこらで新幹線識別できるなんて天才かと。叔父馬鹿炸裂してるんだけど、でも、こう言う事だと思ったんだよね。
彼は車も好きなんだけど、シロンやウラカンは区別がつかず、救急車とか消防車の区別はつくらしい。
電車に対する解像度が違うんだよね。
で、なんで解像度が違うかって言うと、そこは、単純に好きなんだろうと思う。
好きだからこそ解像度高く見る事ができて、且つ俯瞰して、自分との距離をコントロール出来る人が、きっと上手な人なんだろうな。
でも、解像度が高いだけだと下手の横好きになってしまう事もありそうだ。
スポーツ選手の逸話で僕が好きな話がもう一つある。
元ホークスの小久保さんだったかな?素振りをし過ぎて、素振り中に気絶した事があるとかないとか。
どう言う状況での話か分からないのだけど、気絶する迄出来るって凄いなと思うのだ。相手のある練習ならさ、まぁ無くは無いけど、素振りって自分でコントロール出来る事じゃん?それなのに気絶するって状況が訳わからない。
どう考えたって、気絶する迄の素振りってあまり意味のある事とは思えないのだけど、それだけ素振りに集中してしまえるのは本当に凄い。
でも、きっとこれは再現性は無くて、本当に天性の才能がある人がやったから大成したんだと思うのだ。もし凡人がやったら、いや、凡人にはできないのだけど、きっと野球選手としては大成しないだろう。
そうなんだ。好きってのは解像度や没入感を高めるのだけど、好きな対象ってなんだって、そんなに単純じゃないから、その一部だけ取り出して好きになってしまうときっと不幸になる。
まぁ好きって感情を持てるだけでも幸福なんだろうけど、例えば人を好きになって、その人のどこが好きって言えてしまうのが不幸な様に、ね。