幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

努力の結果を批難するな

珍しくシラフで、しかも平日に書く。

忘れないうちに。

 

オリンピックの結果を見てさ、日本人って良いなって思った。

少なくともテレビとか、いわゆる従来型のマスメディアでは期待されていたのに、残念な結果になってしまったアスリートに対して、批難めいたことを、少なくとも僕は聞いていない。残念ながらネットの世界はそうでもないんだけどね。

それはさておき、良いなって思ったのは、努力したにもかかわらず、望んだ結果を得られなかったときに、その人が批難されたりすると、その人が辛いのはもちろんなのだけど、それを見た多くの人に努力する気すら失わせる。

でも、逆にさ努力ばっかり評価されてもダメなんだよね。そうすると、努力に対する評価だけで突き抜けた結果は、個人的なモチベーションがあるならまだしも、そうでない限り、仕組みとして生まれなくなってしまう。

そもそも論でいうと、努力ってのが曖昧でさ、欲しい結果を得る為にする行動すべてってことであれば、努力しても結果が伴わないっていうのは、努力の方向性や努力って言葉に含まれる小さな多くの行動に間違いがあったんだと思う。そして、それは批難されるべきであるのだけど、それを批難できるのはその努力をしたその人のみだと思うんだ。

いや、結局、結果が全てではあるんだけどね。そのゲームというか、どの一連の努力の目的に対してはさ。でも、次に努力する気持ちになれる、努力への評価ってのは大事なんだと思うんだ。

 

あと、正当な競争が約束されている環境もね。

 

開会式に対する批判がいろんなところから出ているし、逆に高評価だったみたいな記事も見かける。僕のブラウザでは高評価と低評価の記事が半々くらいに表示される。で、それらの記事を見るとさ、批判は開会式そのものってよりは、開会式に至るまでゴタゴタを含めて「開会式」って言っていて、高評価している記事は単純に開会式の演出とかそういったものに対する評価だった。

でも、よくよく考えてみるとさ、今回の東京オリンピックの開会式は唯一無二のもので、他の都市で開催されたオリンピックや前回の東京オリンピックと比較してどうのってのは言えるのだろうけど、厳密には比較し得ないものだろうし、それを批判するとなるともう、そこは個人の感情・感想ってことでしょ?

 

人に灰皿でテキーラ飲ませようとしてボコられた歌舞伎役者は、奥さんを病気で失ったから開会式に出られたのかな?裏の取れていない過去の「武勇伝」を語ったミュージシャンやホロコーストを揶揄した元お笑い芸人、障害者を揶揄するパフォーマンスをしていた個性派俳優と何が違うのだろうか?

 

こーゆーとこだぞ!正当な競争が阻害されているのって。そして、それが僕ごときに、嘘かホントかはしらないが、認知されてしまっているところが、今の時代の、この東京オリンピックの哀れなところだと思うよ。

 

そして、何より電通さんの悪足掻き。利権構造。そんなものがさ、ありありと見えてしまう透明性の高い大会で、見えたことをこの後、どう処理してゆくかが、今後の大きな課題だと思う。少なくとも人死が出ている、JOC経理部長さんの件だけは、キッチりして欲しいな。

まぁ無理か、赤木さんの件ももみ消そうとした国だもんなぁ〜。