幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

あけましておめでとう

もう10日以上も経ってあけましておめでとうもないのだけれど。

 

今年、僕は厄年で、善し悪しは別として統計学的に人生において何かしらの大きな転機を迎えやすい歳なのだと思う。多分、ライフイベント的に言えば、親との死別などが一般的には多い年頃になって来たのだと思うが、幸いにも我が家の親は今のところ元気だ。

 

とは言え、昨年は妹に子供が産まれ、念願の孫を得たうちの親どもにとったら、ライフイベントとしては、あとは僕の結婚、僕の子供の誕生くらいだろうから、気を抜くと、意外とこの世に未練など無く逝ってしまうかもしれないので、不詳の息子としてはできる限りの親孝行はしたいと思う。

 

今年は日本で4回目のオリンピックが開催され、5G元年とも言われている。

 

オリンピックの商業主義については、また別途語るとして5Gに関してのとりとめもない思索を呈したい。

 

現在の4Gに比べ格段に通信効率の良い5Gは世の中に様々な変化をもたらすと言われている。自動運転や遠隔医療、これまで映画やアニメの描く未来でしか見えなかった様々なものが実現されると言われている。

 

しかし、その一方で、北欧の一部国家では、その健康被害に懸念して5Gを禁止している国もある。

 

wifiの電波の影響を受けると主張して自ら命を断ってしまったイギリスの少女がいたように、確かに5Gの電波は人体や野生動物に影響をもたらすのではないかと、僕は思うのだ。

 

いや、きっと既に僕らは現在でも電波の影響は受けており、要は僕らが知覚してないだけなんだと思う。

 

でも、実はそんなものは長い人類の歴史の中で、いくらでもあって何も5Gに限ってのみ言えることでは無いのだと思う。

しかし、5Gのもたらす本当の混乱は生理学的なものでは無く、いや、生理学的なものかもしれないけど、情報量過多による恣意的な情報の選択なのではないかと思うのだ。

 

4Gの現在でさえ、僕は僕のスマホからレコメンドされる各種情報にひどい偏りを感じるのだ。僕の興味に基づいて、僕が知りたいだろうと何かが判断した情報ばかりレコメンドされる。

 

僕がそろそろ靴が欲しいなと思い、googleでスニーカーの画像検索をすると、すぐに流行りのスニーカー100選みたいなページをレコメンドして来る。そりゃさ、ありがたいことではあるのだけれど、別に僕は流行りものが欲しいわけではなくて、僕の好みに合ったスニーカーが欲しいのだ。でもね、悔しいのはさ、そのレコメンドの中には多数の僕の心に刺さるスニーカーが含まれている。

 

こう言う経験を重ねてゆくと、きっと僕はいつしか自分で考えることを辞めて、自分の判断よりもレコメンドの判断を尊重するようになってはしまわないかと危惧している。

 

そこはさ、スニーカーっていう、当たり障りのないジャンルを例にとって説明を試みたが、実はエッチなサイトでは完全に自分で考えることを辞めて、サイトのレコメンドして来るものをありがたがってしまっている(笑)

 

僕がpornhubにレコメンドされるがままに性生活を送ってしまっているように、他の領域でも同じ様に生活し始めたら、僕はきっと幸福ではないけど、さりとて不幸では無い人生を送れるのではないかとも思うのだ。

 

厄年が、人間のライフイベントに基づいて設定されているのであれば、きっと厄年とかって、人類史でもかなり早い段階でのビッグデータ利用なんじゃないかな?