幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

笑いのペーソスと昭和

笑いにはペーソスが含まれる。と、言ったのは北野武だったか?

昭和の笑いにはどこかに暴力と言うか、誰かの悲しみが含まれている。もしかしたら、それは今の、令和の笑いにも同じなのかも知れないけど、他者や架空の誰か、あるいは実在の誰か、そして自分自身の見方によっては悲しい部分を笑いに転化していると言える。

笑いのネタとして選ばれた対象には、笑いの主体たる話者からの絶対的な愛があることが前提に、それを笑えたのだと思う。それは、今と言う時代にはありえないダメ人間の寅さんや釣りバカ日誌のハマちゃんが愛されて笑われていたのはその証左ではなかったのかと思う。でも、いつの間にかその笑いは冷笑に変わり、非積極的な攻撃的なものになって来たのでハナイカと思う。

その背景には、多分、日本の謙遜とかに近いイズム?が感じられる。

うちの愚妻が〜愚息が〜、なんて言葉は謙遜表現なんだろうけど、そこには愛情と形式的な謙遜の共通感覚があって初めて成り立つものなのだと思う。

松本人志の性加害の問題について考えて、行き着いた思いつき。これを僕がどうこう言ってもなんら関係ないけど、幼き日のヒーローが否定されるのには若干のモヤモヤしたところがあるけど、これが時代の移り変わりなんだとも思った。