幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

諦め学

目標管理ってのが注目されてから、どんくらい経つんだろうね?

イチローさん、本田さん、最近では大谷さん。

目標管理っていうか、目標を立てて実現した人の例には、枚挙に暇がない。

より具体的な目標、そしてその目標を達成するのに、詳細なプロセスの設定。

大谷さんの例では、目標達成の要素に「運」があり、その「運」を手に入れるためにゴミ拾いをするのだとか・・・。なんでも、人の捨てた物を拾うことで運が良くなるだとか?

ゴミ拾いをすること自体、その事自体には、僕はなんの反論もなければ、その理屈として人の捨てたものを拾うことで運がよくなるって考え方も、むしろ「あぁそう考えるのもありだね!」と真似したくなる。

 

でもね、でもだよ。成功した人たちの考え方や行動規範を真似ることは、決して無駄ではないのだけれど、でもじゃぁ本当にすべての人がその行動規範に則って行動したとして、相対的な世界ではその人の目標が達成できる/できない、望んだ自分を実現できる/できないってのは、約束されたものではないだろう、と僕の理性は言うのだ。

 

言わずもがな、目標を立てて、達成できなかった人の話は、目標を立てて実現できた人の話よりも需要は高くない。だからたぶん、統計とかも取ってはいないだろうから、数値的にどうこう言うのも難しいのだけれど、でも、僕の肌感覚で見える世界では、カクテルパーティ現象に近い、人は望んだものに意識が集中され、その情報をより多く得てしまうってのと同じで、成功者たちの情報だけが先行してしまって、あたかもそれが成功の必要条件のように思われてしまっているけど、実際は「成功者に努力していないものはいない」というのと同じようなロジックで、目標をしっかり定めた上で、必要十分な努力と結果を得られた人が成功者なんだってのが、本当のところではないのだろうか。

 

でもじゃぁ、なんの目標もなく生きてゆくのが良いのか?

 

って言うと、そうではないと思うのね。

 

でも、より具体的に、より詳細に設定してしまった目標やプロセスはさ、そこから外れることで、その先の道筋に大きな影響を与える。そりゃそうだよね、なんとなく、美味しいものを食べたいと思っているときは、コンビニの惣菜でも満足できるけど、美味しくて身体に良いものとなると、まぁコンビニでも手に入らないことはないけど、強いそれじゃない感に苛まれると思う。たっと一つ条件が増えて具体的に近づいただけなのにね。

 

だから、ってのは乱暴な展開だというのを承知の上で言いたい。

 

多分だけど、僕らは目標の具体性を積み上げてゆくと同時に、「もしも駄目だったら」という別の道筋も考えてゆくべきだと思う。

 

つまり、いつどのタイミングで諦めるのか?あるいは損切し、その経験からの教訓を獲得財産として思えるような、諦めの手段、もしくは「受け身」のとり方と言っても良いかと思う。

 

以前も書いたかも知れないが、「ぼのぼの」のエピソードにある「枝のたくさんある木」。どこまで頑張ったら諦めたら良いか、諦めてしまったらどうしたら良いか。それを目標設定と共にやるべきなんだと思う。

 

撤退戦の難しさなんて、大昔から言われているのに、人類は、僕は、まだ学んでいないのだ。これからでも遅くないから学べたら良いな。