忘れたのだ、イヤホンを。
昨年夏ごろ、転職して給料の大幅アップを成し遂げた僕は調子こいてSENNHEISERのワイヤレスイヤホンを買った。4万位したかな?本当は、SONYのノイキャンワイヤレスイヤホンが欲しかったのだけれども、当時は折からの半導体不足だか、品薄マーケティングの影響だかで、店頭にはなく、Amazonで転売ヤーの餌食になっていたので同価格帯のSENNHEISERにした。
で、使って見ると確かにそれまでの「令和最新版」などと謳われた安いワイヤレスイヤホンに比べると格段の差で、100%その能力を引き出せてはいないだろうけど、それでも明らかに違っており、満足した僕はヘッドホンもSENNHEISERにした。
毎日のようにAmazonMusicでポッドキャストを聞き、たまに今日のような休日には、音楽なんかも聴いて、起きている時間の相当な時間をイヤホンに耳を塞がれて過ごして来た。そして仕事中には、パソコンと繋いだヘッドホンで外界の音を遮断するという建前で、YouTubeを聴いている。
だから、こうしてイヤホンに耳を塞がれず、ダイレクトに外界の音を聴くのはかなり久々で、これまでだってイヤホンを忘れたこともあるけど、なんか今日はあえて外の音を聴いて過ごそうと思っている。
電車に乗って、20分。早速、普段との明確な違いに気付かされる。
ポッドキャストでも、音楽でも、僕はそこに誰かの意志を感じていた。例え洋楽やインストロメンタルであっても、そこには誰かの、音楽を通して表現された意志というか、想い?感情?とにかくイヤホンから聞こえる音は、誰かの理解されたり、感じられたり、とにかく知覚されることを意図した音だった。
てもどうだろう?電車の線路と奏でるリズムは聞かれる事を意図して鳴っているわけではないだろうし、風を切る音、人の出す衣擦れや呼吸の音、それらは、ただそこにあるだけの音。
そういう音に囲まれて、なんか初めて本当の世界との距離というか、世界から感じていたプレッシャーというか、強要されていると感じていた関係性というか、とにかく、僕の自意識過剰で感じていたプレッシャーから解放された気がする。
たまには誰の言葉も聞かずに過ごす時間というのもアリだろう。