社会人になって、早、20年。僕は1年休学をしているので、社会に出たのが1年遅いのだが、本来同学年だった、小中の時の同学年だった子の中には、中学を卒業してから25年、四半世紀以上社会人をしている子もいる。
概ね、とは言えないか?社会人としての時間の約半分くらいをICT業界の外縁部にいて、感じた事は、多分、世の中について世の中についての事なんだと思う。
この20年というのは、それまでのプリミティブな人間の営みを、効率的に…
めんどくさくなっちゃった(笑)
以下メモね。
・旭川の「いじめ」は性犯罪だし、いじめ自体が犯罪行為。
・何故「いじめ」で片付けようとするのか?
・責任回避や少年法や、子供の更生を願う間違った善意、倫理、刑事と民事の狭間っていうなんか必要なんだかわからないモラトリアムのせい
・もっと言えば、親告罪とかってのもわからない
・きっと、親告罪は被害者が刑事罰の告訴をすることで法的な救済や解決を求めるものなのだろうけど、刑事罰では救済されないものがあることが民法が必要とされる理由なのだろうか?だとしたら、被害者救済の方法にも問題はあるけど、そこについては知識もないし、あまり考えた事がないので今回は考えない
・刑事罰と民事の問題の境目はなんだろう?
・きっと、この違いが被害者救済と絡む部分なんだろうと推測する
・酔って来た。
・でも、もうちょっと頑張る。
・要するに、刑事罰や刑法ってのは再犯が考えられる場合に、その阻止を企図して設計されており、民事、民法は社会通念とかから考えた被害者救済も含めた、ある種のフィクサー的なはたらきをするものなのかもしれない
・要するに、イメージ的には長老とか宗教的な戒律みたいな、科学的ではない権威による裁定
・あぁ、つまりはさ、2001年のエンロン事件から始まったコンプライアンスってのはさ、現行の刑事罰では裁かれないけど、民事的に、世間体的に、批判を避ける為に民事、民法まで含めた法令を遵守することで、リスクを軽減するってことなんだろうな、企業的にはさ。
・だからテレビはつまらなくなったし、人はフラットになりつつある。
・豊田商事事件は最高の演出方法。僕らはフィクションで人が刺される場面も、撃たれる部分も目にするし、ロボコップ2みたいに、僕のトラウマになる映像さえ写し出すけど、壁1枚挟んで、数分の時間挟んで、壁の向こうで起きたことや数分で起きたことをビジュアルで示し、何よりもそこに番組製作者側の意図が入る余地すらなかったし、リアルタイムに見ていない僕にさえ、消し得ないトラウマを植え付けた。
・今起きてるウクライナの件だってそうだ。
・飽和した
・out of memory
・酔っぱらいの性だけども、酔わなくても今考えてる事を考えられたら良いなって思う一方で、今考えてることをシラフでは受け止められないし、受け止めたら壊れちゃうと思う。
・なんだろうね?
・何をどうしたら良いのかね?
・何が良いことなんだろうな?
・わからないね
・もっと真剣に考えたらわかるのかな?
・そろそろ目的地
・まだ結論は出ていないけど、まぁ良いか。多分だけど、僕らってそんなに真面目に生きていてはイケないのだと思う
・適当にさ、生きていて良いんじゃないかな?
もっと知的体力が欲しい。
とりあえず、旭川のいじめ事件はさアレ単純に犯罪だから、もし僕の目の前に犯人来たら、ボコる自信がある。