幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

今年もお世話になりました

言い訳

なんやかんやで、11月から書けていなかった。

特に理由があった訳じゃないのだけど、強いて言うならば、書きたいことが多くて泥酔する前に書き上げることができなったと言うのが理由だろう。

この2ヶ月間で僕自身の周辺での変化としては、まず僕自身が信じられないのだが、毎晩酒を飲むことをやめた。大人になってから20数年の間、ほぼ毎日飲んでいた僕が、平日に一人でいる時には飲まなくなった。仕事上がりにコンビニで買ってグイっと一杯って言うのが、僕の終業の合図だったのだけど、今年2月から始まった在宅勤務での生活では、朝夕歩いていて、夜歩いた時にコンビニでチューハイ買っていた。それをやめて週末に電車の中で朝らか飲むだけにしている。

在宅勤務が始まってからは、文章を書くのはその時にしていたのだけど、ここ数ヶ月は書きたいことが多すぎて、書いている途中で酔っ払って書くことを諦めてしまっていた。

これは多分、僕にとっては良いことなんだと思う。書きたいことであって書かないといけないっていう、なんか追い詰められたようなものではないし、酒飲んでる方が優先されるのだったら、それは僕にとって酒飲んでいる方が楽しかったってだけの話だから、ネガティブはものではない。

それでもこうして今、素面で、PCで書いていると言うのは、書くことが僕にとって、やっぱり楽しみでもあるってことだろう。

年末最終日、素面で文章を書く前に、途中で諦めた途中保存されている文章を読んでみると、やはりコロナ関連の話題が多い。

やれ、コロナはただの風邪だとか、やれコロナを2類指定しているのが悪いだとか、Go Toは使える人と使えない人がいて不公平だとか、何も僕があえて言わずとも、どこかで誰かが言っているような事ばかりだが、でもやっぱりそこは入り口であって、最終的に僕の興味は、結局のところ人間とその社会に行き着くようだった。

 

総括的な内容から入るのだけど、今回のコロナ禍は、いろんな意味で人間とその社会をより剥き出しにしたように思う。

自粛とは?

自粛っていうのは、自ら行動を改めて慎むことらしいが、今の日本で行われているのは自粛だろうか?いや、「今の日本」に限らずそもそも自粛って、本当に「自ら」なのだろうか?

芸能人が不倫とか法には触れないけど、社会的にまずいことすると、出演自粛するってあるけど、あれも結局のところ単純に問題ある人を番組的にも起用したくないし、事実上のクビな訳で、本人からか番組サイドからか、どっちが言い出すかの違いでしかないんではないかと思う。

そして、芸能人ではない我々一般人が政府・行政から求めらた「自粛」も、求められてる段階で自粛ではないと思うし、法律での禁止はないけど、社会的に、雰囲気として禁止されているから、正直言って「自ら」って要素は殆どない気がする。そして、この社会的に、雰囲気的に縛るって言うのは、社会的に弱いところに皺寄せが行く。

 

なぜ女性の自殺者が増えてる理由を考えないの?

ネット上を調べると、やれ女性の雇用がとか雇用形態がと言った内容の話が多い。でも本当にそうなのかな?夏前にナイティナインの岡村さんがゲスい発言して叩かれていたけど、彼が言ったのは表現こそゲスいけど、事実だったんじゃないのだろうか?

彼が言ったのは、コロナが落ち着いたら性風俗に綺麗なお姉さんが増えるのが楽しみってことだったけど、そのロジックは雇用がダメになった人たちがコロナ後に短期間で稼ぐために増えるだろうっていうものだった。

実際のところは残念ながら、コロナは落ち着くこともなく、綺麗なお姉さんはきっと増えず、女性の自殺者が増えた。

自殺した女性の職業とか、背景とかを調べればわかるんだろうけど、どこまで捕捉できているのだろうか。元々性風俗で働いていた人が業界がシュリンクして仕事が無くなったことで、生活できず自殺に至ったのか、それとも性風俗とは無縁の仕事をしていた人が職を失って、性風俗すら仕事がなくて、自殺に至ったのか。

そもそも、いわゆるセックスワーカーと呼ばれる人たちの就業環境や経済状況ってのは極端だろうし、法律的には非常にグレーなゾーンにあって、多くの人にとって話題にしづらいものだろう。でも、実際にそういう業界があって、それで生活している人がいる。そしておそらくは、ある意味で酷い話だけど、ある種のセーフティネットになっていた部分のある業界なのだと思う。そのネットが破れたことで、自殺者が増えたと言う仮説は荒唐無稽なものだろうか。

実際のところ、女性の自殺者が増えた理由として、コロナによる性風俗の不景気が影響しているかについては、その証拠を僕は提示できない。でも、コロナに関する公的支援からこの業界は外されており、実際にその業界で働いていた人たちに対しての補償は行われていない。6月ごろに歌舞伎町が槍玉にあげられていた時に、チラッと廃業が多くなっているという報道があり、失業者が生まれているのは確かだと思う。

それもひっくるめて「女性の雇用問題」で片付けてしまって良いのだろうか。

たぶん、なのだけれど、もし所謂「女性の雇用問題」についての、完璧な解決策が実施され、多くの女性が救われたとしても、そこには性風俗で働く人々は含まれないのではないだろうか。

岡村さんの発言は、彼のゲスさが問題視されたけど、それって本当はちゃんと考えなきゃいけない問題をすり替えてただけなんじゃないのかな?

すり替え

いかん・・・このままでは、なんか僕が性風俗にお世話になっていたかのようにおもわれちゃうかもしれない。そう言うことではないのだ。信じる信じないは自由だけど、僕は性風俗にはお世話になっていない・・・とも言えないのか、エッチな動画とか見ちゃうし・・・。まぁいいや。

コロナが世界を席巻した今年だけど、アメリカでは人種問題、中国では人権問題などもあり、世界には多くの問題が積み上がった感がある。

全部が全部とは言わないけど、何かすり替えで終わってしまっているように思えてならないのだ。

僕は決して人種差別を是認するつもりもないし、人権は守られるべきものであると信じている。でも、それでも言及しなければならないのは、資源や時間が有限である限り、選択しなければならない状況が発生する点だ。それは、普段僕らの生活で意識せずともしていることだったり、悩んだ末に行われていることもある。

今夜の夕飯のメニューや今度の休みの過ごし方から人生の決断に至るまで、何かを選択することで、選択されなかった何かが生じる。選択されなかったものが、夕飯のメニューであれば、翌日に持ち越せば良い。だけど、それが救える命の選択だった時にはどうなるのだろうか。

極論だけれど、世界から10人生き残る人を選べと言われたら、自分の家族や身近な人を選んで行くことになるのだろう。でも、世界から3万人選べと言われたらどうだろうか?10万人だったら?100万人だったら?1億人だったら?10億人だったら?35億人だったら?

僕らは何をもって生き残る人を選ぶのだろうか?そこに本当に公平な基準など作れるのだろうか?

多分、世の中の多くのことは公平そうに見える不公平な基準に満ちていて、そしてその不公平さは偏るのだ。弱き者、少なき者にとって不公平は偏り、効率的にマイノリティーが排除される。それって経営的には正しいのかも知れないけど、きっと僕らが考えている人権の考え方に立って考えてみたら大きく間違っているように思うのだ。

解決策、と言うか緩和策でしかないのだけれども、このような問題に対して、救える数を大きくすることで対応してきている。要は、パイを取り合う相手を追い落とし多くのパイを手に入れる方向ではなく、より大きなパイを作れるようにという方法論だ。

パイが大きくなれば、当然その分だけ分け合える数が増えるから、それまで切り捨てられていたり、排除されていた人たちも救えるようになってきている。でも、パイを大きくするにしても限界があるんだ。

そして、今回のコロナのように世界中でパイが小さくなると、まるで先祖返りのように競争相手を蹴落とすことをし始める。そして、それ自体は生命として仕方のないことなんだと思う。

きっと、この手の問題に対しては、もっと別のアプローチが必要で、パイの大きさや分け合う人数の調整と言った、数理的な解決作ではなくて、根本的な解決方法、そう「パイがなければ、ケーキでもせんべいでも、なんでも食べればいいじゃない!」的な解決策が必要なのだと思う。

でも、それがすぐには出来ないから、人は争い始めるのだろうね。

おっと、壮大なすり替えをしてしまっていた。話を戻そう。

BLM。Black lives Matterってさ、きっかけは警官による暴力だったけど、本質は人種差別の問題で、警察組織をどうこうしたところで、解決するもんじゃない。挙句の果てには、大統領選の政争の道具にされて、その後の報道は日本ではされなくなってしまった。

中国の人権問題だって同じで、周庭ちゃんが可愛いから日本では香港の民主活動家の話題になってたけど、人権問題ではあるのだけど、まだ始まりつつある人権侵害であって、ウイグルチベットで行われている人権問題やモンゴル自治区で始まった言語統制については既に行われている、解決すべき人権侵害は無名のチベット人ウイグル人、モンゴル自治区の人たちの間で起こっている。

多分なんだけど、こういう時だからこそ、ちゃんとこの問題の根底にある人間の価値観の問題もしっかり考えて行かなければならないのだけど、それ以前の問題とされるべきものでさえ、何か別のものにすり替えられてしまっているような気がする。

 

じゃ、結局どうすりゃ良いのさ?

当たり前のことなんだけどさ、まず困っている人を助けるべきだと思うのですよ。ヒポクラテスの誓いをした人が、コロナ患者を引き受けたら風評被害で経営が危なくなるからって患者の受け入れを拒否するのもおかしいし、コロナ患者を受け入れた病院を忌避するのもおかしい。

考えてごらんよ、東京の通勤電車乗ったことある人ならわかると思うけど、あんだけ密密の電車に毎日何万人も乗っていて、この程度の感染者だよ?累計のコロナ感染者とインフルエンザの感染者数を比較してごらんよ?

 

インフルエンザ 1000万人前後

コロナ 220万人

 

インフルエンザよりも感染力が高くて、これまでの感染対策でこんだけに抑えられているなら御の字じゃない?多分、コロナ対策のおかげでインフルエンザの流行も今年は抑えられているんだろうし、総合的にみて、インフルエンザ以上に恐る感染症ではない。

もちろん未知の部分も多いし、ようやくワクチンが出てきたところだから、インフルエンザと同等に語ってはいけないのもわかるのだけど、でもマスコミなどの報道を鵜呑みにして、必要以上に恐れる必要はないと思う。

コロナで亡くなる方がいる中で、能天気にコロナはただの風邪とか言うつもりはないし、マスクとか最低限の感染対策はすべきだとは思うよ。でもね、不安に駆られてマスク買い占めたり、第一線で頑張っている看護師さんを忌避したり、感染者を差別したりするのは間違っていると思うのです。自粛していないって誰かを糾弾したり、他県ナンバーの車を傷つけたり、芸能人気取りの著名人マスク着用を求められて揉めた店に嫌がらせしたりってのは、間違っているどころか、犯罪だと思うのです。

 

もうね、こんなこと続くようなら、コロナさんに頑張ってもらって人類は滅んだ方が良いと思うよ。

 

人が変わらなきゃいけない。

 

と、他人にばかり求めていたらいけないのだよ、だから僕自身が変わろう。あんだけ飲んでたお酒だって辞められてるんだから、きっと変われる!

 

でも、今日くらいは飲もうかな?大晦日だしね!

今年も1年お世話になりました!では来年もまたよろしくお願いいたします。