幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

言葉狩り

オリンピックのなんかの長の騒動。

もう、どうでも良いわ(笑)

可愛そうなのは川渕さんだよね。とんだもらい事故だし、悪目立ちしてしまった。ただそれ以上の感想は無い。

彼らの去就についてはこれっぽっちも興味は無いし、撤回した言葉に対して、いつまでもグチグチと煩いと、無責任に思うのだ。

 

しかしながら、だ。僕がより問題だと思うのは、女性蔑視発言云々はさておき、それが問題化されたプロセスの方なんだ。誰が問題視したんだ?

 

僕は性別的には男性で、特に女性蔑視をしていると言うような自覚は無い。だからかもしれないけど、今回の発言に対して女性蔑視と言うような印象は受けなかったし、今でも疑問だ。むしろ、文科省だかが言う女性理事4割って言うような指定があることの方が差別的な気がする。

 

蔑視って何なんだろうね?

僕は41歳、独身、契約社員で実家暮らし。

ここまでは今の僕の事実だ。

僕を正社員として雇ってくれ!あ、でも学習塾業界はお断りしますね。僕を愛してくれ!あ、でもできたら20代とは言わないけど、若いほうが良いな。僕と結婚してくれ!できたら僕を女性芸能人が結婚する相手の一般男性にしてくれないか?

蔑視されている、とは言わないけど、僕の属性はご覧の通り、現実に世間的には、需要が少ないのはたしかだし、じゃあ僕の価値が属性で決まるのかって言うと、それは僕の属性の割に高望みし過ぎている欲求さえ否定してしまうので、認めたくは無い。

そんな僕は転職活動で、書類で落とされた時に感じるんだ、僕は属性によって差別されているんじゃないかと。

じゃあ僕が、書類選考で落とされた企業に対して、正社員にチャレンジして落とされた事に対して蔑視されたって言うのは間違いなんだろうか?僕だって好きで契約社員、非正規での雇用に甘んじている訳じゃないんだけど?

好きで女性に産まれたんじゃないって言われると僕の舌鋒は鈍るんだけど、器質的な違いから来る差異は公平性や平等性の大きな名詞、人類とかって属性で語られると途端にナンセンスになる。

 

バイアス。日本語で言えば、傾向性?なのかな?

これはさ、避け得ない反応なんだよね。僕らは経験から学ぶから、体験を言語化したり意識として保存すると、それは言語化って言うのがいわゆるラベリングなので、そのラベルについた属性まで引き継いてしまうものなんだ。で、個人的な体験と言う、極めて特殊な知識?情報?を言語化してしまうと、それにつけたラベルについたバイアスまでも引き継いてしまうから酷く細かく見ると、人それぞれに経験と概念が混ざったキメラが生まれる。

 

話がでかくなり過ぎた。

僕が言いたいのは、なんだ?

 

あぁ言葉狩りか。

解像度変えると僕でさえイケメンに見える事実。

それが言葉狩りの理屈。

なんかさ、良い大人が人のあら探しして金稼いでる姿を子どもたちに見せたくは無いなって、勝手に思っていてさ、人間はそろそろ真剣に僕らは僕らが幸せになることや、幸せになろうって言う意欲に真剣に向き合う時期にきているのではないかな?