幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

見える化の功罪

だいぶ前だけど、見える化という言葉が流行った。流行りのお陰で、見える化の旗振り企業の社長がスカートの中まで見える化しようとして捕まったのは、ちょっと悲しい思い出。

 

んでね、今日僕が言いたいのは、見える化しなきゃいけないことについてなんだ。

 

去年あたりから、少しだけどダイエットを意識している。ダイエットというのが辛いのは、努力の割に効果を実感できないところにあるのだと僕は思うのだ。

 

実際、ダイエットを心がけても僕の体重はあと10kgで0·1tになる。多分一昨年あたりは普通に0·1tあったんではないだろうか?

 

今はだいぶ落ちた、はず。

 

だが、見た目にあまり変化が無いのだ。5年前にボタンを閉められたスーツは相変わらずボタンは閉まらず、ダイエットを目的とした僕の努力は、無駄なのかと思える。

 

しかし、だ。

 

多分だけど僕のしてる努力に間違いが無いという前提でだけれども、別の目的を与えてやる事で、その努力を継続できる事に、齢40近くになってやっと気付けたのだ。

 

地元の駅から、家までおおよそ4km。僕はこの距離を26分で歩く(最高記録ね)。時速8kmで僕は歩いているのだ。そして今僕はこれをどうにか時速12kmまで伸ばせないかと考えている。

 

んで、きっと僕がそれをできてしまったら、僕の体重はだいぶ落ちるのだと思うのだ。

 

本来的な意味での見える化ではないのだけど、これも多分だけど、僕が、別の価値観を見える化した結果だと思うのです。

 

シューシュポスが押し上げる岩を、何か別の目的で押し上げていたのなら、その責め苦も意味を成さないのだろう。

 

見える化ってのはさ、きっと本来は今までは見えづらかった事を数値やグラフに置き換えて、見せるムーブメントだったろうけど、多分、これからの見える化は、別の価値に気付かせる見える化になるのだと思う。