幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

2015自転車帰郷まとめ

 思ったよりは筋肉痛も酷くなかったものの、当日はそのままぐっすり。

その後お仕事やらなにやらで忙しく更新することができませんでした。

今日はちょっと時間があるので、一週間たっちゃいましたが更新!

 

11月22日の経路

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思い起こせば、数年前にBSでやっていた火野正平さんの「にっぽん縦断こころ旅」を見て自転車にはまり、最初に買ったクロスバイクでは総走行距離が4000㎞にもなった。そんなにロングライドするわけではなく、日々の積み重ねが大きいのだけど、たまに今回のように思い立って長めに走ることがある。

もう4年も前になるのだけど、そうちょうど11月の連休に僕は「そうだ富士山を見見に行こう!」と思った。予定も何もあったもんじゃないけど、「宿はどっかとれるだろう」くらいの気持ちで出発。途中パンクしてタイヤ交換したり、足柄山の下り坂で時速80㎞を出して死を覚悟したり、ヘロヘロになって着いた御殿場で宿が取れず絶望したり・・・いろいろあったけど、輝かしい思い出になっている。だいたい良い思い出は、困ったときに必ず誰かが助けてくれたことだったりする。宿が取れずに、御殿場の駅前の地図前で呆然としていたときに声をかけてくれた駅員さんとか、結局はその日は電車で帰って翌日自転車を取りにきたのだけど、筋肉痛で乗って帰る気にもなれず、ヤマトの営業所から配送してもらった際に駅まで送ってくれたヤマトのおばさんとか、人の優しさに、仕事とか義務感とかじゃなくて、ただその人にとっては当たり前の優しさに触れることができたのが嬉しかった(駅員さんはもしかすると不審人物って声をかけてくれたのかもだけどw)

なんか、それは道端に咲く花が綺麗だったとか、見上げた空が美しかったとか、そんな自然の美しさに遭遇したような感動だった。

今回の自転車旅行でもそんな出会いを期待していたのだけど、残念ながら今回は無かった。それでも、素晴らしい体験だったと思う。

 

今回も計画性は無かった。ただ、思いついてしまった。実家に帰ろうって。

どっかに、これまでの自転車旅行で体験した素晴らしい経験を求めていたのかも知れない。とにかく、僕は自転車にまたがり、出発した。

 

かれこれ10年神奈川に住んでいる。川崎⇒戸塚⇒厚木⇒茅ヶ崎。8年間は川崎だったけど、その後は転々として、引っ越すたびに西へ南へと移動しているので、実家のある埼玉からはどんどん離れていってしまっている。果たしてどこまで自転車で帰ることができるのやら・・・ま、とりあえず茅ヶ崎からは帰れたし、小田原からならどうにかなりそうだ。さすがに箱根駅伝のコースをとは思わないのだけど・・・きっとそのうちやるだろうなw

さて、当日のお話。

出発は午後14時ごろ。自転車の巡航速度は大凡時速30kmくらいなんだけど、信号その他いろいろな要因で平均時速ではおそらく時速15kmくらいになっていた。出発から1時間くらいで僕はまだ長後駅周辺にいた。周辺に詳しい人ならわかると思うのですが、このあたりって相模湾方面から県央部へかけてなだらかに坂になっている。僕はその坂を上るような形で自転車を走らせていたので、正直言って辛かった。実は今回の旅の一番の難所だったと言える。

着ていたアウターは既に汗が染みてきており、昼間だと言うのに吐く息が白くなっていた。途中で引き返したくなったことも何度もあって、出発から1時間で僕はもう自分の思いつきを後悔していた。

とは言え、ブログに書いちゃったし、大事な人にも自転車で実家に帰ってみるって宣言しちゃったし・・・途中で止めちゃったテヘって言えない。これから長くかかるであろう自転車旅のことを考えて僕は不本意にも何度も自転車を降りて押して進んだ。この辺は成長したなぁと思う。数年前の僕ならきっと意地になって自転車を降りずに鬼のような形相で坂を上りきっていたことだろう。そして、たぶん途中でリタイア。

実は自信がなかった。最後まで走り切れる自信が。そのため、僕はバックパックに着替えと輪行バックを詰めていた。これも、御殿場までの旅から学んだことだった。幸い今回は使うことなかったけどね。

さて、そんなこんなで僕は出発して1時間でもうやんなっちゃっていたのですが、実はもうひとつ問題が発生していたのです。ゆるい坂道を自転車で上りきると意識がブラックアウトしそうな感覚に襲われました。ん~と例えるなら、そう初めてタバコを吸ったときに感じるようなクラクラってする感じ。結構ヤバイかも?と思い、いよいよ僕の中にはリタイアする「正当な理由」ができてきて、これはリタイアしてもいいよね?と自分自身を甘やかし始めたころ、僕の中に天使と悪魔の囁きが始まったのです。

 

悪「いいじゃん、もうさ誰も見てないんだからやったってことにしちゃえば」

天「駄目!見てないからやったってことにするんじゃなくて、ちゃんと経緯を話して説明すればみんなわかってくれるよ!」

おい。そのまま続けるかどうかの鬩ぎ合いじゃないのかい!?

って言う、役に立たない天使と悪魔たちの鬩ぎ合いを聞きつつ、僕は比較的冷静に自分の体に起こっていることを分析してみた。ブラックアウトしてしまいそうになる感覚はどこか貧血の症状に似ていて、いやいや、もっと近い何かあったはず・・・あ!そうだあれだ!中学生のころに流行ったチョーク遊びだ!

チョーク遊びと言うのは、黒板に書くチョークではなく、チョークスリーパーつまり裸締めをする遊びだ。いわゆる「落ちる」と言う感覚を友達同士で作り出す危険な遊び。あのときの感覚に近かった。で、犯人がわかった。

こいつだ!

 

ヘルメット。僕はその日カスクを帽子の上からつけており、顎の下でしっかりと留めていた。 どうやらそれがきつ過ぎたらしく、僕の頚動脈を押さえつけてしまっていたようだ。ヘルメットはきちんとつけないと意味がないのだけど、さすがに坂のたびに落ちそうになってしまっていてはその方が危険なので、僕は留め具を緩め、再び自転車を走らせた。すると、どうでしょう?その後はブラックアウトしそうになることもなく、異常にかいていた汗も収まり、呼吸も楽になった。鬩ぎ合い、取っ組み合いになりそうだった頭の中の天使と悪魔も「あ・・・」と言う感じで苦々しい表情のまま消えていった。

 

それからと言うもの、多少の坂道は自転車に乗ったまま超えることができるようになり、巡航速度も35kmくらいで維持できるようになった。ん~血流って大事。

しかし、神奈川県はまだまだ広い。ブラックアウト未遂事件が解決したとは言え、まだまだゆるい坂道は続く。さっき鬩ぎ合っていた天使と悪魔たちが消えたおかげで、僕はいろいろなことを考えられるようになった。

 

自転車をこくことも、歩くこともそうだけど、単純作業を繰り返しながら移動すると言うのは考えるときにはもってこいの環境だと思う。僕は自転車も好きなのだけど、実は歩くのも好きだ。もちろん移動の手段として考えたら歩きも自転車も速度において車や電車に負けるけど、車や電車に乗っているときは悲しいからスマホで情報のインプットをしてしまっていて、「考える」と言う行為は行われない。歩いているときや、自転車をこいでいるときは仕方なしなのかも知れないけど、考える以外にできないので、僕はいろいろと考えてしまうのだ。そして、それは時として僕に天啓をもたらしてくれる。

 

今回は特に天啓はなかったけどねw

でも、僕は考えた。

好きな人のことや好きな人のこと。

そして、好きな人のこと。

中学生みたいだったw

ズーラシアの近くを通ったときは、

「あ~いつか一緒に行きたいなぁ」

とか

センター北近くの観覧車を見たときにも

「よ~し今度誘ってみよう!」

とか

家族連れで歩いている人を見かけたら

「こんな風になれたらいいなぁ」

とか・・・

って、それ以外にも考えたよ、もちろん。

別のエントリで書こうと思うのだけど、ベーシックインカムとか、シリア問題、貧困問題、転職のこと、いろいろ。

でも、まそれは、今回のたびとあまり関係のないことなので、また今度機会があれば書こうと思う。

少しでも関係のあるところで言えば、坂の不思議。

よく、人生においても上り坂下り坂って表現をすることがある。

「辛いときは上り坂」みたいなね。

自転車乗ってると本当にそうだなって思う。

辛いのぼり坂は時間もかかるし、体力も消耗する。面白いことなんて多くはない。

一方下り坂は気持ちがいい。こがなくても出るスピード、先へ進んでいる感じがして気持ちがいい。でも、下り坂はあっという間。

自転車旅行するときにはいつも手元にスマホの地図を出している。自転車用の地図には坂の傾斜とか長さも表示されていて、僕はその情報を元に経路を決定できる。人生においてもだいたいは、先人たちの残してくれた地図があって、どの道を行けばどれだけの坂があって、どれだけの困難が待ち構えているかはある程度わかっている。それを元に僕らは人生の選択をするのだけど、問題は僕たちの人生の目的地がいろいろなことだ。最後は決まっている。でも、そこは目的地ではない。僕らはきっと人生の目的地を求めている。もしかすると、それはスタンプラリーみたいなものなのかも知れない。あるいは桃鉄みたいなもの?次から次へと示される目的地へ我先にと殺到する。誰よりも早く到着することがいいことなのかは僕にはわからない。いや、そもそも示された目的地へ僕は向かっていないような気がする。

そう、僕はまだ目的地を探しているのかな?

な~んてことを考えていた。

そんなこんなを考えながら走っていると、ようやく川崎に入った。

川崎には8年住んでいたこともあり、走る道がどれも懐かしい。その土地土地で、あ、あの子どうしたかな?なんて思いながら走る。思い出はいろんなものと結びついているんだなぁと思う。今の僕を形づくっているのが、過去のいろんな記憶で、普段意識して思い出さないようなことも、ふとした刺激で思い出されることがある。変わり映えのしない日常生活を送っていると、忘れてしまったままになるようなものたち。それは、もしかしたら自分がどんどんそぎ落とされているような状態なのかもしれない。時にはそういう時期も必要なのもあるとは思う。でも、思うんだ、僕らは僕ら自身であることをもっと大事にしなければいけない。社会生活を送っていると、僕らは社会の中で求められる役割を演じることになる。それは母親だったり父親だったり、社員であったり上司、部下であったり。でもそれってあくまでその人の役割であって、その人はそのものではないはずだ。僕らは同じような繰り返しの毎日で、段々と思い出を削ぎ落としていって、よりスマートな役割そのものになろうとする。そうして僕らはいつの間にか、僕ら自身の目的地さえ見失ってしまう。自分自身への回帰。それって結構大事なことなんじゃないかな?

 

な~んて考えてるといつの間にか東京に入った。

二子多摩から東京に入り、246を通って環7へ。連休中の中日だけど、都内の交通量は人も車も多くて、渋谷から新宿、そして練馬方面へ抜ける環7を通っていると、それぞれの街の生活の匂いをかぎ分けることができる。渋谷・新宿周辺の雰囲気はなんていうか、そう何か形而上学的な印象を受ける。人の理性が作り出した、ユートピアとは言わないけど、合理的でいて美的で、そして無機質な印象。”人間”として存在するときにはいいのかも知れないけど、人としているには息が詰まりそうだ。そこには生活の匂いにも何か合成された人の意思が入っているようで、どことなく嘘くささを感じてしまう。僕が僻みっぽいだけなのかも知れないけど、僕はそんな美しいものや合理的なものの中に歪みを感じてしまうのだ。人間って、少なくとも僕はそんな立派な人間じゃないから、無駄に装飾されたものや過剰に隠される忌みもの、そして隠し切れない人間の、人の生活の業が入り混じった状態があまり得意ではない。人間の業は否定しえないものだと思うから、それを隠すのではなく、むしろそのままの形でさらしてくれている方が僕にはしっくり来るから、渋谷やら新宿の装飾性やら無駄な豪華さが僕には信用できないのかもしれない。

って思っていると、いつの間にか練馬に入り、なんかちょっと安心する。そこには生活臭があって、人の住んでいる場所だと言う安心感を感じられた。

そんなこんなをしていると、いつの間にか笹目橋。

今まで何度もわたったんだけど、今回初めて気づいた。あの橋おかしくない?

埼玉と東京の県境になるのだろうけど、同時に橋の間に和光市戸田市の市境もある。なんていうか、思うのです。橋の上に大凡権利も何も生まないような橋の上に、市の境を維持したために、無駄に看板ひとつ作っている。それはたぶん、市の境が先にあって橋が後からできたからなんでしょうけど、看板いらなくない?いや、むしろそんな看板をつくらなきゃいけないなら、市の境を変えちゃえばいいのに。

一方で今話題のアラブ世界の混乱の元凶がサイクスピコ協定だっていうし、アフリカの諸問題も同じく欧米の引いた国境線が元になっているって言うじゃないですか?境界線って大事だなって思うのだけど、何故大事かって要するにそこに権利や利権やらが絡むからだと思うの。日本史を子供たちに教えていると、大凡19世紀以降の戦争って、経済がらみ。日本における国内戦もだいたい利権の取り合い。結局、究極的にはいろんな意味での貧しさが争いの元なんだろうなって思う。

市の境を巡って不毛な争いが起きない日本と言う国は貧しいか豊かかで言えば「貧しくはない」のだろう。ん~でも豊かでもないんだよね。

 

なんてことを考えていたら、いつの間にか実家到着。

だいぶ端折ってますけど、こんな感じでした。おわりw