ハッキリ言うと、どうでもいいのですけど、流行ものには乗っておきたいw
で、結論から言うと
「あるかないかわからない悪意に敏感になりすぎてるんじゃない?」
だいたい、こういう炎上?した記事を見てみると、どちらのサイドも過激な意見があって見ていて不快な気分になることもある。何が不快かって、「決め付け」の上に「決めつけ」を重ねて、議論の形式を取ろうとしているところが不快。
構造と言うか仕組みと言うか、対立が発生するプロセスがみんな同じように思える。「ラッスンゴレライ」のときほどのこじつけ感はなくとも、発信者の意図していないものを敏感に感じ取ってしまう、あるいはそこに無理やり見出して批判してしまっているような気がする。
こちらのエントリにあるような心理が働いてしまうのだろうか?
ブログは議論の場ではないと思うのです。
だから何かひとつの結論があるべきだとは思わないのです。
いろんな人の考えや意見に触れて、それで自分の考えがさらに磨かれれば儲けモノってくらいでいいんじゃないでしょうか?
先日の僕の落ち込んだ時のみなさんの対応とか、いじめに関するエントリについての反応とかみたいに、連帯感や意見の一致を得られることもあります。でも、それは絶対的なものではないし、読んでもらっても「現われない反対意見」が一定数存在することを忘れてはいけないのだろうなぁと思います。
ブログに関わる限り、僕は読者でもあり発信者でもあるので、読者としても発信者としてもこの言葉を肝に銘じておきたいと思っています。
思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。
From マザー・テレサ