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幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

あたらしい時代?

ここのところ、一応末端ではあるけどWeb界隈の端っこくらいにはいるのだけれども、なんというか潮流が変わってきているように感じている。

これまた昔話で恐縮ではあるのだけど、僕はパソコン通信って言葉が残っていたころのインターネット黎明期からどっぷりと浸かって、振り回されてきているのだけれど、これまでに2度ほど、いや3度かな?潮流の変化を感じたことがある。

 

最初の一つ目は回線速度の変化。FTTHにおけるラストワンマイルが解決されて、ネット上のコンテンツは文書・低画質画像から動画・高画質画像化していった。

 

続いて、facebookに代表されるSNSの発展。僕はこれが一番の大きな潮流の変化だと思っている。それまでネットの社会における匿名性は、ネットをいわゆるアンダーグラウンドサブカルチャーとの親和性を高めて、ネットをメインストリームから遠ざけていたのだと思うのだ。

 

そして最後にモバイル端末の隆盛。ここは少し細かく見ていこうと思う。

 

 実は、facebook等のリアルなSNSの流行とともに起きていたことなのだけれども、決定打はスマートフォン、と言うよりはIPhoneの流行だったと思う。実はその前にiMacってのがあるのだけれど、それは電子機器をよりカジュアルにして、Ipodの流行の下地になっていたものだと思う。Iphoneに近い端末はそれまでも出ていたけど、あくまでビジネスライクなものばかりで、具体的に言えばBlackBerryとか日本企業も作っていたPalm端末ってまさに今のスマートフォンだし、ちょっとご縁のあった富士通LooxなんてモバイルPCの走りだろう。しかし、それらが流行しなかったのは、おそらくは「使い方」を示せなかったからだ。Ipodウォークマンがその前身にあって、Ipodが動画に対応してIphoneのような形になったら、そりゃ後は思うよね「これに電話機能つけたらよくない?」って。いわゆるガラケーでも音楽は聞けたし、動画だって見れた。でも、ガラケーはその名前が示す通り、日本独自の規格になってしまっていて、要するに日本以外の、それまでに蓄積されていたWebコンテンツを使うことができない点で劣っていたんだ。んまぁ、でも実際のところ日本語って特殊な言語のおかげで、僕ら日本人は不便を感じることは少ないのだけれどもね。

 

 んでまぁこのモバイル化と匿名性の希薄化と同時に法整備も進んで、いわゆるWarezとか今では違法ダウンロードとなったP2P関連ムーブメントっていうのだろうか?そういったものが下火になって、今度はそれを合法的にビジネスとして成り立たせる方法論が確立して、SAASやらクラウドっていうものが流行する。このあたりから、ネットワーク社会が現実社会に対する影響を強く持つようになり、かつて2元的な世界だったものが1元的な世界に、現実世界の対立する概念としてのネットワーク社会ってのは消えていったように思う。それと同時に「所有」に対する考え方も変わったと思うのだ。

 

 元々、銀行を中心とした金融業界では当たり前のことであったのかもしれないけど、札束はあくまでシンボルでしかないという現実に多くの人々が気づき始めている。公民の授業風に言えば、兌換紙幣が生まれる前は、貨幣に、つまり金貨とか銀貨とか、あるいは銅銭だって、その金属に価値があり、貨幣経済とはいえ、本質的には物々交換の経済であった。その物々交換経済を現在の貨幣経済へと変容させたのは、中世に生まれた銀行に依るところが大きいだろう。特にその銀行の仕組みの中で現在へ大きく影響を与えているのは、トラベラーズチェックに代表さえる切手文化だろう。

 トラベラーズチェックは、ある地点に預けたお金を、別のある地点で受け取ることを目的にしている。その背景には、その間の道程での野盗に襲われたり、紛失したりといった様々なリスクを避けることにある。それを書状と本人確認の手段を確立することで実現した。

 具体的に言えば、ベルリンで預けた100KGの金塊を、パリで受け取るとする。矛盾したことを言うようだが、ベルリンで預けた金塊をパリで受け取る必要はない。パリでは、パリにあった同量の金塊を受け取れば良い。これがトラベラーズチェックの始まりであり、兌換紙幣の始まりだ、そして今のネットワーク社会における情報の流れと同じだ。そして、それはやがてクレジットカードや銀行のATMになり、日本においてはSUICAなどの電子マネーカードへとつながってゆく。んでもって最終的にはCryptCurrencyなんだろうね。所有というものが、実際にそれを持つというよりは、それを自由にする権利を持っているという感じに変わってきた。

話がまたそれてしまったのだけど、僕が感じている潮流ってのは、この所有権の変化とも少し関係があって、人はより効率的に資源を利用するようになってきて、不合理なこだわりが少なくなってきたことに原因があると思っている。要するにいろんなものが希釈されて流動性が高くなってしまっているように思うのだ。

Webコンテンツを見ていると、SEOってのがその原因にあるんだろうけど、どこも同じようなコンテンツばかりになってきているし(もちろんその中で個性を光らせているものもあるんだけどね)、スマホでさくっと手に入れられるものばかりが目立ってきているように思うのだ。その癖多くのアプリのメモリ管理は杜撰になって、4GBとか8GBとかのメモリ積んでいても重く感じる。ってかスマホのアプリが特に酷い。

 

情報を血液とするなら、血は薄く、不順物というか余分なものばかり大きくなってきている。んでもってさらにDOSやらDDOSやらっていう意図的な動脈瘤っていうか血栓っていうか、血液の流れを阻害するような要因も多くなってきている。

コンテンツの流通が早くなったおかげで、コンテンツ全体のクオリティは下がってきていて、なんかWebコンテンツ全体が2000年代のデフレだった日本の外食産業みたいになってきているような気がしてならない。

もちろんその中でキラリと光るコンテンツもあるんだけどね。

こっからは僕のとんでも妄想。

なんかね、DOS、DDOSってすごい原始的な攻撃で相変わらずダウンするWebサービスが、やがて無為なものになってしまうのではないかと危惧しているのです。

荒唐無稽な話ではあるのだけど、ガンダムミノフスキー粒子ってあるじゃない?なんかあんな感じで、いつかサイバースペースもその存在自体が汚染されてしまって、今のままの仕組みでは立ち行かなくなるその日が来はじめているんではないかと感じている。

必要不可欠なものではあるのだけど、以前よりは依存度が、僕の中では低くなってきているからそう感じるだけなのかもしれないけどね。