大胆にも僕は、人の思考の源泉を、ままならない現実とした上で、論を展開する。
よく、昔、僕は空想したものだ。見た目がキムタクやジャニーズ、ハリウッドスターのようだったら果たして努力出来たろうか?いや、できるだろうか?
大した努力もして無い僕が、こんな事を言うこと自体、おこがましい思考実験なのだけど、言い訳にかけては天才と言うか、おそらくは、史上稀に見る才能に恵まれた僕はきっと、自分でネタバラシして、どうにか均衡を保っているのだと思うのだ。
僕にとって、人生は、ある意味イージーで、生きてるだけで儲けものと思えるならば、今の僕は、どんだけ余剰な財を持っていることか?
逆に、日本という僕の所属する国内では、僕のようなダメ人間は、かなり多くいて、でも顕在化していない。なぜなら多くの場合、真面目で勤勉で正しい家族たちによって繕われ、表に出て来づらいところがあり、顕在化しているのはスマホアプリで言うならば、ssrレベルのレア度だろう。
でも、きっとね潜在的にはもっといてさ、やがてそれが顕在化してくる。で、その兆候ってきっとね、流行にヒントがある。
木更津キャッツアイだったか?あのドラマを僕は見たことがないのだけど、おそらくは、あのドラマが流行する背景にあったのは、今僕が切に感じている、潜在的な社会問題と言うか、やっぱり流行ってのは先に行って、その後に起こる価値観の変化をソフトランディングさせる、社会の持つ自衛本能の様なものなのだと思うのだ。
マイルドヤンキーってのがさ、ある意味馬鹿にされつつも、スタンダードになりつつある世の中じゃ、人口の減り続ける地方はマイルドヤンキー頼みの地元愛なんていう不確かで、惰性的で、ノスタルジックなものにしか希望を見いだせなくなっている事実だって受け入れないといけないよね?
んで、僕が何を言いたいかと言うとね、人の傾向が2つあるように見えて実は3つあるってこと。
僕のように哲学というファンタジーに逃げてしまう人と、論じたマイルドヤンキーのように、なんとなく流行が生み出す、人々の本音に沿って生きてく人、んで持って、激レアだけど、本当に世の中を変えなきゃやってらんない人。
世の中を変えなきゃやってらんないひとは、必ずしも感動ポルノみたいな押し付けられた不幸では無いし、ジョブスのような、単にワガママって言えるような人かも知れない。まぁ、ハゲてはいるけどさ。
でも、もし、ジョブスが禿げていることをコンプレックスに思って、あの成果をだしたのならば、斎藤さんはもっと大物っぽさを出していいと思う。
でも、そうじゃない。
前都知事もそうだけど、ハゲで成功した人は多いし、その誰もが生まれながらハゲでは無いのだ。
彼らは、たまたま禿げてしまったが、禿だから成功した訳では無いのだ。もし、禿ゆえに大物になれるならば、どこぞの議員の元秘書は総理大臣になれる禿だろう。
つまりだ、禿、じゃなくてね、世の中を変えるのと、自分を変えるのとどっちがコスト的にお得かってことだと思うんだ。
で、今まで世の中を変えるほうがコストが安いと思っていた僕が自分を変えるほうがコストが安いと思い始めたらしいよ。
未確定の未来と越し来た時間と、僕らはいつだって天秤にけてんだろね。どっちに傾くかは知らんがさ。