物理的に、と言うか、生き物として自分を弱いとは思ったことはない。けど、社会的には弱者男性だと思っている。
世間で言う弱者男性に当てはまるかはわからないけど、氷河期世代で、一時期非正規雇用だったし、人生において異性からモテたためしが無い。
僕の自覚が正しいかはどうであれ、僕が自分を弱者男性と思うのは主に性的に男性としての魅力が不足している点にある。
だけど、絶望してはいない点で、世間的に言われる弱者男性とは違うのかも知れないと思ったりもする。
好きな人がいて、数え切れない程ではないけど、それなりに女性ともお付き合いもし、大抵は悲しい最期を迎えていたけど、幸せだった時期もあるから絶望こそしていないけど、条件としては決して有利ではないと思う。
でね、キルケゴールではないけど、絶望とは何かって話ではあるのだけど、期待ができない状態なんではないかと思う。
根本的に、期待すると言うのは、経験からこうなるだろうと言う予測をしているだけのものだと思う。
サルの研究で、ボタンを押したら餌が出てくる機械に慣らされた猿は、餌の出てくる頻度を少なくしても、ボタンを押し続けると言う。
でもこの実験をギャンブルの理屈として言われるケースもあるけど、ギャンブルに限らないと思うのだ。
弱者男性と言う言葉が生まれたのは、極々最近だと思う。誰も明確な定義もできずに、なんとなく共有している概念と言うか、言葉ではあると思う。そこに僕が当てはまるかどうかは、正直わからないし、いくつかの条件に当てはまるから、僕は弱者男性と言う自覚を持っているのだと思う。何処かに前提として、人の人生がギャンブルで、男性が女性に比較して、物理的に、筋力的に強いという前提の上で成り立つ理屈なのだと思う。
そしてね、弱者男性=無敵の人みたいな構図もあるのだと思う。
僕が弱者男性だと自覚する最大の根拠なのだけど、僕は、僕が所有していると思っているもの以上に欲しいものがあってさ、それを得るためなら僕は今僕が持っている何かを全て投げ打ってでも欲しいと思う、フレーム?理屈?傾向性?があることを感じている。
では、僕の欲しいものに僕の属性は関係あるのだろうか?
僕はスケベだから、穴があったら入りたい。
でも、僕は知ってしまった。と言うか、出会ってしまった。
本当に好きな人に。
理由はわからない。
彼女の持つ属性やらを分析してさ、僕の好きな条件を導き出すのはできなくは無い。けど、それができたとして、君以外に求めることは無い。
僕の絶望は、君を諦めた時に訪れる。
そして、そのとき僕は初めて無敵になる。
少々過激な話になるのかもしれないけど、死後の世界が無くてさ、他人からどう思われても良くてさ、自分の求めているものが明確だったらさ、多分だけど迷わない。
何を言いたいかと言うと、なんだろ?
好きな人がいます。
その人と、理屈ではなく、損得勘定ではなく、ただただ触れていられたらそれで幸せでした。
腹が減っている時は何食べても美味しいものの、ホントに欲しているものでなければ、満足できないのと同じで、誰かを抱いたところで、それは忙しい時に食べるカロリーメイトのようなものだし、命の危険は回避できても、幸福ではない。
あぁなるほど、僕は自分を弱者男性だと思うことで、最高に幸せでない自分を正当化しているだけなんだろうな。
弱者男性で語ったけどさ、これっていわゆるフェミニストや過剰なDEI信者にも同じことが言えると思うんだよね。