幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

ぼのぼの

昔、もう20年も前の話だけれども、ぼのぼのが、好きだった。今でも嫌いではないのだけれど、当時付き合っていた人を思い出すので、最近は思う事も読むこともなくなっていた。

 

今日、ふと、どんな因果でだったかも忘れてしまうほどに、なんか鮮やかに蘇って来た、ぼのぼののエピソードがある。

 

元々、木登りしたいボノに木登りを教えるアライグマ君親子の話が好きで、ある種の座右の銘と言うか、人生観になっているのだけれど、それとは違うお話が想起された。

 

気になるだろうから、座右の銘になっているエピソードを簡単に説明すると、木登りしたいボノの為に、アライグマ君はお父さんに頼んで、ボコられながらも、補助用の枝を木に付けてもらう。ラッコであるボノが木登りするって段階で、ツッコミどころは満載だけれども、最終的には補助枝たくさんの木に無事登り、ボノは念願の木登りを達成する。

そこで交わされるアライグマ君のお父さんとの会話。

細かいとこまでは覚えていないのだけれども、こんな感じ。

ボノは、やりたいけど出来ないことについて悩む。それに対して、アライグマ君のお父さんは、出来ないことに出くわしたら、別なことをやれと言う。出来る別のことばかりしてて良いの?ってボノは問う。アライグマ君のお父さんは、何か大きなやりたいことへ向かってやる別のことが、補助枝のように積み重なって、やがてやりたいことに近づける、みたいな事を、言う。で、枝ばかりの木みたいでいいんじゃないか?ってな話なんだけれど、確か11巻なので、興味あったら是非。

 

で、今日、想起したエピソードと言うと、件のアライグマ君のお父さんは実質シングルファザーで、妻に逃げられている。と言うか、妻である、メスの、って言うとなんかアレなんだけれど、アライグマ君のお母さんとの会話するシーンがあって、二人が決して仲違いしたわけではないみたいな背景が説明される。

 

アライグマ君のお母さんは、家庭に対する明確な幸せなイメージを持っていて、それが実現されないことに疑問を感じて旅に出ていた(と思う)のだけれど、とにかくなんか現実に違和感を感じて旅に出ていたと思う。

でね、アライグマ君のお父さんとの会話でさ、お父さんは言うのよ、お母さんが思い描いている幸せのイメージは頭の中でやるのが最高で、現実にそれをしてみると、それより数段下がる的な話。厳密には、敵わない、って言っていたかな?

 

なんかね、あぁコレなんだって思ったんだよね。

 

理想ってあるじゃない?僕らが知覚できる様々な事ってきっと、頭の中のシミュレーションには敵わない。だから、理想的な現実って、プラトンの善のイデアに近いのだけれど、それそのものではない。

 

だから端的に言えばさ、きっと僕らはさ、餓鬼道に生きている。欲しいものを手に入れたら、炎と消える、そんな世界だ。

 

飛躍があるのは重々承知しているのだけれど、でもさ、これが僕にとっての補助枝なんだろうなって、今は、思うよ。