昨日、大学への志望理由書を書く生徒から質問を受けた。
この問いはかつて僕の問うた問。
でも、一応いろんな講師に聞いて見た。
「自分の幸福を追求するために」
と答えてくれた講師がいた。
この答えも僕が出した答えのひとつだった。
ただ、この答えは問題があって、何が「自分」か、何が「幸福」かによって、行動は大きく異なってくる。
それ故に僕は哲学の深みにはまったのだけれども、未だにその答えは得られていない。その時々の答えらしいものを信じて生きている。
自分というものを狭義に捉えると、要するに生物の個体として、僕の感覚を満足させることなのだろう。でもね、例えば、美味しい食べ物を1人食べても美味しいのだけど、ハーゲンダッツでなくとも暑い日に好きな人と分け合って食べる爽は水っぽくても美味しいと感じる。性的欲求だって、それだけに限って言えば、自分で処理した方が効率的だし、楽なんだろうけど、相手がいてくれないと幸福は感じないし、相手は誰でもいいわけじゃない。
自分って言うものはきっと、人と人の間にあるもので、自分自身が感じる欲求ってのは「不足」からくるものなんだ。それはどんな形でも満たされれば良いのだけど、幸福を感じるためには、それを人の間にある自分で共有できなければ感じられないのだろう。
なんてことちょっと考えた。