「わかる」ってのは共有幻想なんだと思う。
そんなことを言うと、世界は冷え冷えとして、社会は乾き切ったカサカサで、触れ合えば摩擦を生じるような牢となる。
でもたぶん、それが本当なんだと思う。
逆に言えば、「わかる」って幻想を同じ持つだけで、世界や社会ってのはずっと暖かく、潤ったものになるんじゃないかと思う。
本当のことが価値を持つのって悲しいけど、本当が希少であるときだ。僕らはできの悪いファンタジーの世界に生きている。たった100年で根本的に変容してしまった世界。
かつての真実は、いつしか神話になり、よりファンタジーらしくなってしまった。神が雲の上を追われ、地獄がマグマ溜まりになって、神は理性と名前を変えて人々の中に住まうようになった。
もはや本当のことなんて誰も求めやしない。求めているのは都合の良い事実だけだ。
複雑になったようで、実はあまり変化のない人間は自分にとって都合の良い世界解釈を行う場所で、自分にとって都合の良い仲間とそうでない敵とに分けて、内と外とで融合と抗争を繰り返している。
その抗争は大体が強い方が勝ち、弱いものたちは、意外とあっさりと強者の価値観を受け入れる。
要素が多くなればなるほどに、最大公約数が小さくなるのと同じで、価値観もそれを同じく持つ集団が大きくなれば内部から新たな集団が生まれる。
わかるって言う幻想を潤滑油にして対流は繰り返される。
なんてことを思ったり思わなかったり。