在宅勤務にも慣れ、いよいよダメ人間になりつつある。
仕事は、仕事としてやってはいるし、給料泥棒と自覚しないで済む程度にはやってはいるのだけれど、ベストエフォートではない。
と、言うのも最近、いやだいぶ前からだけど、仕事中にBGMとして2chのまとめを聞いている。
でね、最初はねオカルト板からだった。
そもそもオカルト板のまとめを聞き始めた契機は、島田秀平のお怪談巡りで、お怪談巡りの契機は、コテンラジオだった。
どんな理屈でレコメンドされたのかはわからないのだけれども、なんとなくは想像できている。
心霊のお話ってさ、結局の所、僕らの信じる科学の理屈では説明出来ないことを説明しようとして、ファンタジーを構築することで代行している。そして、そのファンタジー世界の根拠もまた、現世の「科学」の代わりとして、その世界の根源的な理屈として、魔法や妖精、または霊的なルールが存在する別世界を想定しているのだと思う。
歴史は、点と点を想像力、つまりはさファンタジーで補って作られるもので、点が増えるとストーリーも変わってしまうし、評価する側が変わる事でも変わってしまう。万有引力のように、「全て」に作用する理屈にはならなくてさ、せいぜい頑張って同じ様な価値観を有しているものの間で共通して所有される信頼度の高いファンタジーなんだと思う。
歴史をそんなものと捉えてしまうとね、歴史とオカルトに大した差を感じられなくなるのだよ。
で、だよ。僕は、歴史もオカルトも大好きで、それを食い扶持にしていないから言えることかもだけれども、要するに、科学やら表面上信じている理屈から逸脱した現象やら行動に、相対した時には
現実世界のルール
↓
ファンタジーの世界のルール
↓
感覚の否定
と言うエスカレーションラダーがあって…
あ、思いついたことのメモね。
都市と田舎。つまりはさ、人の処理可能な情報量の問題なんではないかな?
単位面積あたりの情報量は圧倒的に都会の方が多くて、田舎の方が少ない。物理的な距離が近いのに、存在として遠い都会と、物理的な距離が遠いのに過干渉な田舎。
埼玉から新宿に、久々に出てみて気づいちゃった(笑)
もっと真面目に生きなきゃいけないなぁとは思うのだけれども、なんだかね。
素面で、かつ、こんなことを、こんな金にもならないのに大事なことを、もっと若い頃に考えられたら良かったな。
でも、今このタイミングで気付けただけでも幸運か。
なんかね、この幸せがずっと続けば良いなって思う前に死ねたら良いな。
この判断も死後の世界が無い事を前提としているのだけれどもね。