昔、こんなことを思っていた時期がある。
「僕らは未来に対してなんら正確な知識を持ちえないのだから、未来に怯える必要はない」
と。
ま、今でもそう思っているんだけど、世の中に目を向けると、残念ながら僕のこの考え方は少数派のようだ。
崩壊が予想される年金制度、少子高齢化によって縮小する国内マーケット・・・etc
心配の種は尽きず、未来の見通しは明るいとは言えない・・・的な論調が多く感じられる。
ま、事実そうなんだろうけど、でも、僕はなんとかなると思っている。
僕が子供のころから「石油はあと○年で枯渇する」とか「オゾンホールが拡大して南極の氷が溶ける」だとか言われて来たけれど、今のところまだ大丈夫だし、ノストラダムスもマヤ暦も、結局不発。
常に誰かが危機を叫んでる。
備えるのは大事だけれど、怯える必要はない。
ただ、確かに「今のまま」であってはいけない。
結局、僕らがペシミスティックになってしまうのは、これから発生する変化を現在の考え方で評価するからなんだと思う。
評価方法を変えてゆけば、いいんだと思う。
最近の自分自身の状況がいろいろあって、そう、本当にいろいろあって、幸せだと思えなくなってた。そこから、見る世界は僕がそれ以上不幸を感じなくて済むように、不幸な世界が見えてくる。でも結局はそんな世界を生きて行かなければいけない自分を悲しみ、憐れむような気分になっていた。
不確かなもの
それをどう捉えるか。
そこが問題なのだと思う。
今回の、と言うかこれまでの僕の経験から、不確かなものに恐怖を感じる時と言うのは、その時がきっと幸福でない状況の時なんではないかな?
だから、僕はたとえ現実がそうであったとしても、自分自身を不幸だと思わないようにしたい。
不幸からはきっと何も生まれない。
きっとそれは確かなことだから。
久しぶりに気持ちよく晴れただけで、こんな風に考えられるなんて
僕は単純なんだな
でも、そんな自分で本当に良かった