幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

「○○する勇気」

今週のお題「最近おもしろかった本」

たしか「化物語」だったかと思う。

「○○する勇気」と「勇気」を付けるとなんでもポジティブに聞こえるって言葉遊び。

 秀逸だった。

化物語(上) (講談社BOX)

化物語(上) (講談社BOX)

 

 「化物語」シリーズも好きだけど、今回ご紹介するのは、「○○する勇気」でみなさんが一番最初に思いつく、アレです。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 ど~ん。

なんかすごく今更な感じもするんですけどね。

実は、この本が流行り始めたころに、たっくさんの友人知人から勧められた。

「いつも言ってることと似たようなこと書いてあるから気に入るんじゃない?」って。

こう言うのを近親憎悪と呼んでいいのかわからないのだけど、「似てる」って言われると「なら読まなくていいや」ってずっと避けていました。

でも先日、こちらのエントリで取り上げられてて、すごく興味を持てた。

kokoroda.hatenablog.com

 

で、買って読んでみた。

太平洋を目の前にして、潮騒をBGMに、お気に入りのブレンド水筒に入れて、滝のような汗かきながら・・・今日は暑かった。

読後の最初の感想は、「いい本だなぁ」でした。

そして友人知人が僕が言っていることに似てると言ったのも分かる気がした。

前のエントリでも書いたけど、僕は決定論にとことんまで抗っている。

いや、そこまで徹底はしていないのだけど、過ぎたこと以外は決定論を受け入れない。その点で基本的なスタンスが一緒だから、僕から出てくる言葉も似たものになるのかもしれない。

っち、もっと早くアドラー知っていればよかったw

さて、本の内容だけども、全体を通して、漠然とした内容ではあるけど、共感できたし、語り方が上手だと思った。アドラーの哲学自体もすごいけど、この岸見さん古賀さんの構成力と言うか、ストリーテリングの上手さが際立つ。そう、ソクラテスにとってのプラトンのような存在なんだと思う。ソクラテス自身は著述を残していないけど、その弟子であるプラトンソクラテスの思想を彼の行動と対話の記録として残してくれた。実際にその通りにことが運んでいたのかは、僕らにはわからない。もしかしたら、プラトンと言う天才がソクラテスと言う偉人を作ったのかも知れない。

この本の中でも触れられているけど、要するに「どう解釈するか」なんだと思う。

意味付与と言うのは、様々な形で行われるけど、それを行うのは僕らの自由意志と言うよりは、習慣性なのかも知れない。この本で言うところの10歳ぐらいまでに自分の在り方を選択する。その時選択された”在り方”と言うのは実は、それまでに最も合理的に効率的に最大快楽を得られた方法であり、その人の選択における傾向性なのだろう。

この本で残念でならない点は「勇気」と言うものに関しての言及が直接的にはあまりされていないように感じる点だ。

勇気と言うものがなんなのか?

勇気とはどのようにして得られるものなのか?

僕がこの本から読み取った勇気とは自信を源泉としている。

でも、僕はさらに突っ込んで言及したい。

 

ここからは僕の勝手な考え方と根拠のないそれっぽい論述です。

 

勇気とは、つまり欲を持つことに対する自信なのだと思う。

西洋哲学は紀元後以降はキリスト教の影響を強く受けている。

禁欲的なことが是とされる文化的背景から考えると欲望を持つことに対して何かしらの後ろめたさを持つのだろう。それは江戸期に発達した日本の倫理観にも通じるところがあって、質素倹約が美徳とされたように、日本文化においても欲望を持つことに対する後ろめたさを感じてしまう。

要するにそういった後ろめたさに対して自分の欲求を正当なものであると自信を持って対抗する精神的な力を「勇気」と呼ぶのではないだろうか。

「嫌われる勇気」とは他人の視線を慮って、自分自身のありたいように存在できない人たちに自分が望むことを望む為に必要なのは、自分自身であろうとする、自由であろうとする欲求を恐れずに主張することなのだと言っているのではないのだろうか。

僕らは自分の現在の在り方を自分自身で納得するために、他人にも理解してもらうために過去から現在につながるストーリーを作り上げる。でもそれは解釈を変えればいかようにも変化させることができる連続した事実に過ぎない。ならばそれを、これから在りたい自分のために解釈を変えてストーリーを作り直すことなど容易いはずだ。その作り上げた新しいストーリーを他人に承認してもらう必要はない。自分自身がそれを信じることができれば良いのだ。そして、その作業に必要なのが自己受容とそれに付随する自信であるとこの本は主張しているのだと思う。

この解釈もきっと僕に都合のいいように捉えたものなんだろうけどね。

でも、この解釈に少しでも共感してくれる人がいたのなら、その人にはお伝えしたい。

是非、エピクロス読んでみてください。

 

エピクロス 教説と手紙 (岩波文庫 青 606-1)

エピクロス 教説と手紙 (岩波文庫 青 606-1)

 

 

 あ、一応、エピクロスの快楽主義はあれですからね、そんな安易な快楽主義ではないですし、僕のアドラー解釈が、勇気の解釈が欲望を大事にしようだったとしても、化物語にあるような

「痴漢する勇気」

「怠惰に暮らす勇気」

「変態の汚名を受ける勇気」

とかはいらないと思います。

って言うか痴漢は犯罪ですから!!