”やりがい搾取”と言う言葉をご存知でしょうか?
話題のあの方のブログにも載ってるくらい有名な言葉なのかな?
要するにディズニーランドです。学校の先生です。塾の先生です。
賃金の高い低いって言うのは相対的なものだし、人によってその基準は違うから業界を特定してしまうのはイケナイことなのかもしれませんが、あくまでその傾向の強い業界ってことでご容赦ください。
さて、やりがい搾取に合わないための心構えですが、結論を言っちゃいましょう。
・人生と仕事を分けて考える。
以上です。
やりがいは人生に求めましょう。「仕事にやりがいがあっちゃいけないの?」と言う人もいるかと思いますので、そのあたりをちょっと長くなりますが説明しましょう。
ではまず
ただいま絶賛搾取されまくりの僕の状況からお話ししましょうかね。
・年間休日80日(あったらいいな)
・繁忙期(年の約1/3)は9:00~23:00
(それ以外は13:00~23:00に帰れたらいいな)
・募集では週休2日(であったためしがない)
・残業手当なし
・業界給与水準:年収300万~450万(で求人出てますね)
ま、時給換算すると恐らく平気で最低時給を下回るでしょう。
「でも素晴らしい仕事です。」
これね、これがやりがい搾取です。
「やりがい」を人質に労働基準法に抵触するような労働環境で営業しちゃっているものをやりがい搾取と言うようです。
もちろん搾取って言うんだから搾取している人がいるわけなんですけど、幾つかの種類があると思います。
まず創業者ですね。創業者はもちろん初めにそのビジネスを始めて、成功したわけですからその先行者(非ロボット)報酬としてそれなりのものを得るのは当然だと思います。あるいはビジネスオーナーでしょう。ビジネスオーナーもそのビジネスを始めるための資金を提供し、失敗するかもしれないリスクを抱えているんで、成功したときの報酬を高くとるのは当然でしょう。しかし、問題はその”程度”です。ディズニーにしても、塾などの仕事にしてもそこで働く人の生活が成り立たないような状況や環境にしてしまう程の搾取は行われていないまでも、そこで働く人の未来を確実に蝕む「生かさず、殺さず」レベルで搾取が行われます。塾の先生の例で言うと、多くの指導者は自分の子供を自分の塾へ通わすことができない程度の報酬で働いています。
そして、一番問題なのは「誰が搾取しているかわからない」ケースです。これは学校の先生がそれに当たるかもしれません。そして、年金まで考えると確かに不当に賃金んが安いとは言えないのかもしれません。でも、部活動の顧問とか本当に頭が下がります。公立学校の先生は基本的にその自治体の公務員になるわけですから、お給料は生徒の数に関係なく税金から支払われます。ですので、先生方の労働時間が長くなって残業代をお支払することになれば当然のことながら地自体の歳出が増えるわけで、その関係を考えると市や県、国といった公共の組織が搾取者と言えるのでしょうか?
ある意味で構造的な問題があると思うのですが、いずれにしても学校の先生のケースは「やりがい搾取」ではあるけど、ここで論じるには少々問題の根が深いので、また別の機会に・・・
「でもさ金稼ぐためだけの仕事ってむなしくない?」って言っちゃえるあなた!もう搾取されてるかもしれませんよ!
1.仕事と人生は別ものです・・・か?
昔々、社会人になりたてのころ、尊敬する先輩にこんな質問をしてみました。
「人生にとって恋愛や結婚って必要ないんですか?」と。
先輩はこう言いました
「何言ってんの?恋愛は必要ないかも知れないが、結婚は必要だろ?世間体ってのもあるし、家庭持ってない奴に大きな仕事は任せられないよ」と。
当時の僕はお付き合いしている人から「仕事と私どっちが大事なの?」と言われており、その悩みを相談したのですが(もちろん別れちゃいましたけどね)、先輩に若干食い気味に「仕事」と即答されたあとの会話です。先輩の言う「大きな仕事を任せられない」と言うのは、家族を養う責任を負ってない奴は信用ならねぇってことらしいです。
先輩は続けてこう説明してくれました。
「お前さ、考えてもみろよ?うちら一日何時間働くんだよ?それをあと40年近くやるんだぞ?家にいる時間と仕事してる時間考えたらどっちの方が長い?」と
・・・つまり先輩は人生≒仕事ととらえていたんでしょうね。
果たして人生≒仕事なんでしょうか?
もしかしたらそう言える人は幸せなのかもしれません。
「あなたの職業は?」「サラリーマンです」と答える不思議な国
だいぶ昔の話ですが、カナダにいたころ海外と日本の違いみたいな読み物でこの話が出てきたように思います。海外では職業を聞くと銀行員なら銀行員(あ、これは日本でもそう言いますかね)、営業ならセールスマンと自分の職務内容を答えるのに対して、日本人はその給与形態であるところの「サラリーマン」と答えるようです。ジョブローテーションと言う名の元に、労働者に専門性を持たせず、ゼネラリストを志向していた日本企業の組織観や日本人の職業観が原因だったのではないかと思います。
日本で働くと言うことは江戸時代の武士のようにその職務内容に依ってではなく「組織に所属する=決まった給金をいただける」と言う年功序列賃金体系と御恩と奉公の意識があったのではないでしょうか。そして先輩の言う「家族を持ってない奴に仕事は任せられない」と言うのは、そのまんま人質ですよね。
家族とやりがいとを人質に取られる労働者
時代は変わり、今や日本でも成果報酬型の賃金体系を取る企業が増えてきました。同時にコンピテンシー型組織体系を取る企業も多くなってきています。そうなると、労働者は自分の得手不得手で職業を選ぶ必要が出てきます。自分が何をしたいのか、何ができるのかが大切になります。これによって職業間の賃金格差がより明確になり、労働者はより賃金の高い仕事を志向するようになります。今現在も人手不足の業界と言うのは、賃金水準が低い労働集約的な仕事で、「やりがい」を全面に押し出さなければ人が集まらないのです。多くの労働集約的な仕事では、業務に「やりがい」を感じさせる仕組みがたくさん用意されています。
特に就職氷河期と言われた時代、つまり僕と同年代の人たちはとりあえず就職しなきゃと言う気持ちで社会人になってしまった人が多いのではないでしょうか?そこから転職した人ってどれくらいいるんでしょう?結婚した人はどれくらいいるんでしょう?「やりがい」を人質にとられて転職できずにいる人多いと思います。
友達の例をあげると絵に描いたようなブラックな人生です。
・大学卒業後IT土方になる。
↓
・25歳 結婚。
↓
・28歳 鬱発症
↓
・29歳 退職、離婚
↓
・36歳 派遣
彼の最初に勤めた会社は所謂業務請負で、大手企業のプロジェクトに参加してました。そして彼は酒を飲む度に言うのです。
「俺さ、今あのプロジェクト参加してるんだ。やっぱ規模の大きいプロジェクトはすごいよなぁ」
でもね、君はさ業務請負している協力会社の社員で、プロジェクトの主要メンバーではないんだよ?と僕は思いつつもそんな彼の「やりがい」をうらやましく思っていました。
しかしながら、「IT土方」です。大手の社員の半分ほどのお給料で彼らの2倍近い労働をしていれば当然病みます。鬱を発病した段階で僕にも相談してきてくれたのですが、彼はまだ「やりがい」と「家族」を人質に取られていたため、仕事を辞めることができませんでした。そして、結局そのどちらも失ってしまいました。
彼が悪いのでしょうか?
恐らく違います。
いや、彼も悪いのでしょう。
でも、彼自身だけじゃなく多くの人が同じような経験をしているのであればインシデントではなくプロブレムとして扱うべきだと思うのです。
日本の産業構造は既にある一定量の「被搾取者」を必要としています。ただそれを気づかれないように非常に巧妙にカモフラージュしています。そして確実に一定量の被害者が出ています。その背景には現状に合っていない旧来の職業観や思い込み、そして何よりも仕事=人生という考え方があるのではないでしょうか?
だからこそ、仕事=人生を僕は否定したい。
やりがいは余暇に見出せ
本当に自分のやりたいことが見つかったら、あなたは誰かの命令に従えますか?