んとね、これがひとつの企業ではなくて、社会全体で起きているという話を書こうとしているのです。
よく日本は「失敗が許されない社会」といわれるけど、それはたぶん日本だけではなくて、どこにでもある話なんだと思うのです。結局のところ大企業病っていうのは、多くの人が成功している人の成功体験を真似ているうちに、洗練されて、より上手く、より効率良く真似できる人が評価されるって話だと思うの。
ある種、それは安定した社会で、洗練されることによって起こるから、それ自体を全面的に批判する気はないのだけど、こと、これがエンタテイメントの世界においては、困ったことになると思うのだ。
小室哲哉さんが僕の憧れだったのだけど、TRFが出てきたころから僕には疑問が沸いてきた。今のAKBなんかもそうだけど、エンタテイメントなんだろうけど、そこにはそれだけではない、「型」を感じてしまうのだ。工業製品のようなね。
古典芸能が衰退しても今もなお時々思い出したようにブームになったりするのは、たぶんそこには長い時をかけて集約された芸がり、それもひとつの型なのだけれども、TRFやAKBが古典芸能と違うのは、古典芸能は「型」そのものを目指すのに対して、TRFやAKBは「型」に嵌る、というか嵌めるのだろう。
大企業病というのも、ある意味で「型」に人を嵌める作業であり、その中でやっぱり偉くなる人というのはある意味で「型」を目指し成した人なのだろうと思う。
悲しむべきは、漫画の実写だろう。
ある意味で型を目指しているのだけど、そこは悲しいかな芸術家というか、エンタテイナーの性なのか、オリジナリティを出そうとする。軒並み失敗しているよね。
もはやさ、ここまで人類の歴史が長くなってきているのだから、完全にオリジナルなものなんてないんだろうけどさ、真似するなら真似をする、オリジナルならオリジナルってハッキリした方がいいと思う。
世の中のいろんな比率がパレートの定理のようになってきている。
ま、そんな訳で最近文章を書くのがお仕事になっているので、文章書くのがちょっとおっくうになってきてるw