幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

鷲津雅彦と半沢直樹

どちらも、空想の人物だ。

経済エンタテインメント小説の主人公で、映画やドラマにもなっている。

 

ここでわかるのは、創作物のステータスの1つとして、映画化やドラマ化がある。

 

ハゲタカについては、僕はドラマから入ったのだけど、半沢直樹、と言うか池井戸潤は、ドラマや映画は見ていない。もっと言うならハゲタカはNHKのドラマが至高で、玉山鉄二とかが出ていた映画やその後焼きなおされたドラマは、なんか失礼だろうけど、オリジナルを超える事のできない、業界の予定調和の道具に使われた感が酷かった。

 

当選ながら、ドラマや映画と言う、CMなんてその最たるものなんだけど、映像、動画作品には何かしらの意図がある。

 

大体は、電通やら博報堂やら、東北新社やらを通したお金に関する意図なんだけど、最近はそのお金に対する意図と言うか、成功するプロセスへの依存と言うか、瞬間芸術って言葉があるかわからないけど、とにかく、視聴者や受け手の今や個性を無視した、最大公約数的な意図が多く、それが僕に響いてくれればいいのだが、外すだけでなく、非常に不愉快な時間を提供してくれている。

 

失敗しない要素だけ集めた失敗作の多さよ。

中国って国がかつてどこよりも先進的な科挙っていう人員登用制度を備えていても、植民地化され、その影響を、実力的には世界第1位の覇権国家となった今でも有しており、何かの真似に甘んじ、名実ともに覇権国家となり得ない原因になっているところの、人間という生き物が持つ限界なのか、要するに、理性、思想と感情の棲み分けの問題に通ずる問題があると思う。

 

カメラを止めるな!と言う映画が話題になった。

昨日見たのだけど、言うほど面白いものとも思えなかった。

 

でも、今僕が書いているようなテーマを内包している、電通やら博報堂やらの意図に沿った作品なんだろうと思った。

 

一回性って言う無二のタイミングで押し通せる個の意思。きっとそれは瞬間的に正しくて、長い目で見たら間違い。振り返り、タラレバの話の中に正しさは喪われて、つまらない最大公約数に埋没してゆく。

 

アーティストがライブを好む理由に通ずると思っているのだけど、きっと瞬間の正解、その時の真理、世界が、今や無限とも思える記憶領域のせいで蔑ろにされている。

 

だから僕は、記憶の曖昧さを愛し、それを促す酒が好き。って言ったら言い訳になるだろうか?