また、大げさなタイトル付けちゃいましたが・・・たいしたことは書きません。
言いたいのは、幸福の形って求めちゃいけないんだなってことを書きたいと思います。
今、ヘッドフォン(なんかのクイズサイトで正解してもらった1万円くらいのやつ)で大音量の音楽聴いています。
こんなんでちょっと幸せなんですよね。
そりゃ、あと10分もすればヘッドフォンの中の耳が蒸れてきて不愉快になるんですけど、でも、今は幸せ。
音楽の不思議。
それは料理みたいで、そう、例えばお味噌汁もお湯にお味噌を溶かしただけじゃとても飲めたものじゃないでしょ。いろんな音が混じって初めて成り立つものだったり、そこにタイミングとか強さとかいろんな要素がぴったり合って素晴らしいものになったり。
音楽を自分で作るとき、それは僕にとっては完全に自己満足なんだけど、料理は、そう料理するときは違うんだ。
自分ひとりのためだったらきっと僕はお味噌をお湯に溶かしたものでも我慢できちゃう。でも、それを誰かに食べさせようと思ったらきっと自分にできるベストをいつだって目指しちゃう。
そんな誰かがいるのはきっと幸せなことだと思う。
もしかしたら、それが当たり前のことだっていう人が多いのかもしれない。
でも、たぶんそれ凄く幸せなことですよ?
僕らは五感を通してしか、世界を認識できない。
だけど、きっと幸せはそこにはなくて。
それらを通して作った自分の中にあるもんだから。
そして、残念だけど、僕らの五感は「慣れ」ちゃうんだ。
そして僕らの意識も。
って、これ見てて思った。
おつまみ作って来ようっと。