え~っと、このお話しを知ったときに、読んでみてこの記事に書いてあることはだいたい想像できていました。なんせ自分もその業界の人間なんでね。
でもいいじゃない?これ読んで希望持てる子が少しでもいて、結果としてその子にとって良い経験になるんだったら。それを今更記事にするのに僕は疑問を感じてしまう。
この記事の目的はなんなんだろう?
『ビリギャル』は奇跡の大逆転物語などではなく、「中学受験のあと何年か遊んでいても、高いお金を払っていい塾に行けば大学受験はなんとかなる」という、現在の教育格差を象徴する話だったのではないか。
奇跡には、理由がある──。そして最大の理由はお金、というのが日本社会の現状なのだろう。
記事の結びはこうなっている。
日本の教育格差を論じたいのだろうか?
そして、その格差を生んでいるのはお金だと言いたいのだろうか?
だったら別の方法を取ってもらいたい。
正直に言って、この記事は揚足取りにしか思えない。
いろんな意見があっていいと思うの。だから全否定はしないつもりだけど、この”ビリギャル”の合格を”奇跡”と呼ぶ風潮が、そもそも、僕は好きじゃない。
必然だと思うよ。
1年間だか1年半も頑張れたらだいたいのことはどうにかなる。
だから気持ちはわかるの、そもそも原作がさも奇跡的なことのように書いている点も僕は好きじゃないし、校内偏差値と全国偏差値が20以上開く学校があるのも知っている。校内偏差値が40でも全国偏差値60近くあったら別段たいしたことじゃないじゃん?って思うのもその通りだと思うよ。でも、頑張ったのは事実じゃないかと思う。そして、それを読んで「よし私も!」って思う子がいたらそれでいいんじゃないかな?水差す必要はないと思う。
情報の正確性を求めるのは大事なことだとは思うのだけど、正確である必要のある情報とそうではないものの区別くらいはつけて欲しいな。