幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

子供の夢

子供に接していると、将来について考えることが多くなる

よく大人は「将来のために勉強はしっかりしなくちゃ」とか言う。

だから、子供に「何のために勉強するの?」と聞くと

「将来のため」と答える子が多い。

でも、残念ながらこれは不正解。

子供たちが勉強するのは、「受験のため」なのです。

そこに変に夢だ、将来だと無理強いするのが僕は嫌い。

 

子供たちに「将来の夢は?将来なりたい職業とかやってみたいことある?」

と言う質問をすると

「ん~・・・今はないかな?」

なんて答える子が多い。本当はあるけど、恥ずかしくて言えない子もいると思うけど、本当に何も見えていない子もいる。漠然とした未来像、それって勉強のインセンティブにはなり得ない。だって、僕ら大人だって

「何かあげるから、お金出して」

なんて言われても出さないでしょ?

 

自分自身を翻って考えてみると、それも仕方ない気がする。

大人たちが要求する勉強は退屈だもん。それ相応の見返りがないとやってらんない。

 

僕には勉強した、と言う記憶があまりない。いや、勉強はしたんだと思うのだけど、それを苦痛と感じたことがあまりないと言い換えた方がいいのかも知れない。

僕も今の子供たちと同じように、将来に具体的な希望や展望なんて持ってなかった。

ただ薄っすらとした憧れはあったけど、実際にそれを自分の職業にできるだなんて思ってもいなかったし、その憧れの対象はコロコロと変わっていった。

自分で言うのも、なんですが、地頭は悪くないんだと思う。だから、そんなに苦労することなく受験とかの勉強がらみのイベントも、それほど多くの努力をせずに乗り切ってきてしまった。

でも、何も学んでないわけではないと思う。僕は勉強はしなかったけれど、本だけはおそらく当時の中学生・高校生の中でもかなりの量を読んでいたと思う。

中学生のときに司馬遼太郎全集を読破し、日本の名だたる文豪の作品はほぼ網羅したと思う。高校生に入るとトストエフスキーやカミュニーチェにまで手を出し、理解していたかは怪しいけれど、わかったつもりになっていた。

僕はこれらの本を「楽しみ」として読んでいた。ヤンキーみたいな生活をしつつ、学校の図書館にある本の半分ぐらいは読み、勉強らしい勉強もせずにテストである程度の点数を取ってしまう。そんな中学生・高校生だった。

一方で数学のような「訓練」が必要な教科は全然ダメで、僕が勉強した記憶というのは数学しかない。数学も嫌いではないのだけど、僕は単純作業の繰り返しが嫌いだ。計算問題とかを延々と解かされていると、イライラしてしまう。そんなもん計算機にやらせろよって。

現在僕は「勉強を教える」仕事をしているが、実のところ勉強がくだらないと思っている。それと言うのも、これまでに書いてきたように僕自身に勉強した記憶がないのにどこかの予備校の大学入試模試で偏差値が70を超えていた経験があるのだ。周りが必死こいて、今の意識高い系のごとくテスト前に「いやぁ~もう貫徹しちゃってさ」なんて言っている中、僕は前日にしこたま酒を飲み、二日酔いで臨んだテストでそんな結果が出てしまうのだから、偏差値なんぞは努力の結果ではないのだ。

偏差値という数値もくだらない。

それは努力の評価ではないし、結果の相対的な評価でしかない。

でもそれを基準に子供たちは勉強をさせられている。

でも、残念ながら世の中は相対的だ。

結局受験は椅子取りゲームだしね。ほかのこともそうなのかな?

くだらないけど、たぶん必要な基準なのだと思う。

でも、それを目指して勉強するのは無理がありすぎる。

約束されていない未来のために、努力するなんて無理。

ドMな僕でもそんな責め苦には耐えられない。

 

僕が今得ているものを、それを目指して獲得しろと言われてもきっと僕にはできない。

僕はきっと、これまでも、そしてこれからも、自分の出来る範囲で自分のやりたいようにしか自分を動かせない。今、僕が得ているものがあるとしたら、それは結果としてそうなったものであって、何かを目指して獲得したものではない。好きでやって来たら、だんだん広がっていって、いろんな知識が身についた。

コンピュータ関係の知識だってそうだ。最初はシンセサイザーと繋ぐためにMACを買って、MACHyperCardって言う簡単なプログラミングで動く、そうFlashみたいなものが面白くていじっていたら、いつの間にかHtmlとかJavaScriptもかけるようになっていた。そのおかげでIT系のお仕事もできたし、そこで新人研修なんて担当したから教えることの楽しさを知ることもできたし。そっから今の仕事に出会い、そして今また悩んでるんだけどね。

そう僕の人生には計画性も何もない。

ただ、好きなことを、出来る範囲でしてきただけ。

でも、それでもいんじゃないかな?

 

僕がいただく評価で一番多いのは「残念な人」

自分でも最近そう思い始めている。

「やれば出来る子」

そういわれ続けて36年。

どうにか生きている。

夢を生きているのかな?

 

 

あ・・・だからか・・・こんな考え方だから

僕の片思いは実らない・・・

ん~困った