月曜日の2時。
普段の生活が夜型だから、仕方ない。と言い訳しながら、琥珀色の飲み物を飲んでいる。
体は睡眠を欲しているのだけど、意識が僕を眠らせない。
結局のところ僕は、眠るのが怖いんだ。
朝目覚めると、僕が今酔っ払いながら下した結論はただの酔っ払いの戯言になってしまう。
僕はストリックランドになろうと思う。
これまで何度も酔って思ってきたこの決断。結論。
「好きなことをして生きてゆく。」
そのフレーズは既に手垢で真っ黒になって、元の色が何色だったかもわからないくらいに使われているけど、実現されているのはきっとほんの少しだ。
僕も、これまでの人生で何度となく、そう決意し、そう考えて、そして口にも出してみたけど、朝日が上るころには露とともに消え行く。
そして生まれるのは、世間で言うところの「論理的思考」「常識的判断」。
自分の心すり減らしてまで守るほどの生活を送っているわけでもないのだけど、やっぱり怖いんだろうね。
失うもの。
得られるもの。
それはきっと等価のものだ。
でも、得られるものは今わからないから、わかっている失うものが大きく見える。
見えるだけなんだけどね。
そこまでわかっている。
それでも、僕が動けなかったのは、きっと自分自身の甘さだ。
僕はいつだって、どこかで
「他人は僕に何を望んでいるのか?」
そんなことを考えていた。
自分がそこにいていい理由を探していた。
誰かの期待に応えることが僕の存在理由だと思っていた。
どんな僕であっても、僕を受け入れてくれていた家族がいたと言うのにね。
その家族の中にいるためにも僕には理由が必要だと思い込んでいたのかもしれない。
でも最近になってやっとわかったよ。
愛情は無条件なんだろう。
考えると言うことは、僕にとってきっと最初は逃避だった。
目の前にある問題から逃れるために、究極的に考えて、考えることで問題の根本的な解決を手に入れようとしていた。
でも、それが逃避であることは子供たちを見ているとよくわかるんだ。
「なんで勉強しなきゃいけないの?」
それを問う子供たちもその答えはわかって聞いている。
日本語で言うところの反語ってやつかな?
英語で言う
Why don't you~?
みたいなもんだよね。
そして僕の問う
「人は何のために生きるのか?」
これもきっと同じものなんだ。
子供たちが勉強することを嫌って、いや、彼らが嫌っているのは「作業」なんだけど、ま、とにかく彼らが問う「勉強する意味」と「生きる意味」はきっと同じもんだろう。
えへへ、酔ってる。
どんどん綺麗になってゆく君に僕は不安を感じる。
やがて僕の手の届かないところへ飛び出してしまうから。
君の背にある美しき羽は、どこまでも君を連れて行ってくれるから。
でも、そう、僕は君の止まり木になれたら、いいのかな?