フラワーカンパニーさんの隠れた名曲だとか?
タイトルで酒と女って打ったときに「あれ?これってなんか聞いたことある!」ってGoogle先生に聞いてみたら「酒と女とバクチと自由じゃね?」って教えてもらいました。
聞いて見ると、タイトルとはちょっと違った方向へ行く歌詞でした。
是非NEETな方に聞いてもらいたい
働こうw
ま、今日はお休みなんだけどね。
酒とバクチは好きです。人生バクチだっておもってますし。お酒はもうね、なくてはならないものです。女はねぇ・・・大好きです。テヘwでも見境なしじゃないし、その性的にも好きだけど、ちゃんと、ちゃんとってなんだかわからないけど、いわゆる「飲む打つ買う」的な好きじゃありません。
自由ねぇ。
自由ってなんなんでしょうねぇ。
よく、自由と我侭を履き違えている人がいますが、自由というのは何もかも自分の思い通りにすることではなくて、自ら由するってことな訳で。由って「したがう」って意味があるわけで。
要は従うべき自分がある人にのみ与えられるものであって、それがないうちは自由とは言えないのだと思います。果たして僕は自由なのだろうか?
かなり怪しい。
自分の価値観に従っているつもりでいても、どこか他人の目が気になってしまう。
お付き合いしてくれる女の子は"僕にとっては”最高に綺麗な人なんです。でも本当に心の底からそう思えているか?いやいや、そもそも女の子と付き合う基準がそこなのか?たぶん違うんですけどね、そう言う外見の美醜についてはもちろん自分の好みってのがあるし、それが世間様と合致しているかどうかなんてどうでもいいことなんですけど、女の子と付き合う基準として美醜を持ってきてしまうのは本来的な僕の願望なのだろうか?とめんどくさいことを考えてしまうわけです。
恋愛論になってしまうかも知れないのですが、まぁそのうちまた酔った勢いで書くと思うんですけど、あらゆる物事って多面的なんだと思うんです。
皆さんの初恋っていくつくらいですか?
僕はだいたい章が高5年生あたりだったと思うんですけど、最近の子供たち見ててもどうやらそのあたりが初恋というか、男女をそれぞれに意識し出すみたいです。女の子はもっと早いのかも知れないけど。で、僕は思ったのね。そのタイミングって第二次性徴のころとかぶってるなぁって。
つまりですね、純愛だなんだと言いますが、別にプラトニックなものであればその対象が同性であっても成立するものではないかと思うんです。でも、初恋なんていうものが大凡の人には異性を対象として発生しているのを考えると、初恋でさえも性的な要請によって発生しているものなんではないかと思うんですね。恋愛対象が異性である必然性って身体的なものだと思うから。あとは、周りからの要請ですね。「だいたいこんくらいの時期に○○だろう」って言うね。別にその必用も感じていないのだけど「○○しなきゃ」って言う変な焦りね。これまた下品な話ですけど、僕は周りの友達が「やらずに二十歳になっちゃう」と焦っているのを見て少し誇らしかったw
んで、話を強引に戻しますけど。
物事って多面的だからある部分では自分の価値観に従えていても、他の面では社会の価値観を借りてきてしまっている部分があるんじゃないかなって思うんです。だからこそ、いろんな価値観が存在しているにも関わらず人は共同体を、社会を構成できるのでしょうし、分かり合えず部分ってのが存在するんだと思うんです。
そもそも、自然界に純物質なんて存在しないじゃないですか?おそらくですけど、純粋すぎるものは狂って見えるんだと思います。狂気と言うものが何らかの意思を持って表現されているとき、人はその人を自分たちの雑多な感覚では理解できないけど、ある一点に絞って見るとそれが非常に合理的な行動に見えることってあると思うんです。
だから、僕らは本当の自由を得てしまったら、その行動は狂人のように見えてしまうのかもしれません。そして、その自由は誰にも理解されず、共感もされない非常に寂しいものなのかも知れません。
僕はそんな自由だったら、今はいらないかな?
本当に一緒にいう人一緒に、二人だけで分かり合える狂気ならちょっとだけ憧れちゃうけどね。