幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

価値観のコペルニクス的転回

とあるストーリーと言うか風景を思ったんだ。


感動する話 泣ける話 「さだまさし 償い」 【感動する話 涙する曲 歌 泣ける歌の話】

罪は償いきれない

罰を与えられたとて

許されるわけではない

本当の罰は、それを自分で罪と認めたときに始まる永遠の業苦なのだろう

 

人生において、ふとそんな時が訪れる

過去に自分がやって

他人からなじられても、責められても反省できなかった

いろいろなこと

あるとき

そんなことが、とてつもなく大きな後悔になる

取り返しのつかないような後悔

後悔ってのはだいたいそんなものなんだけどさ

 

それでも、きっと人はそうして後悔できることを

自分の罪に気付けたことを後悔はしないのだろう

いや、しちゃうのかな時々は

それでもきっと一度変わってしまった価値観はそう簡単には

戻らない

 

それが責め苦であり償いであると思えばこそ

シューシュポスは岩を押し続けられるのだろうし

酷い言い方をすれば、償うことで、その行動に意味を

与えているのだと思う

 

不幸が不幸な人を裁くとき

その罰は始まっていて、自ずから罰を執行する

不幸が幸いなる人を裁くとき

やはりその罰は始まっていて、ただ幸いなる人は気付かない

そして、やがて幸いなる人が価値観のコペルニクス的転回を

迎えるときにその罪と忌避してきた罰からの苛烈な責めに

苛まれる

 

仕事帰りに喉が渇いたからと言って

チューハイ買うようになっちゃった自分の変化にw

気づいたこと

今日は雨が降っていたので、歩いて帰った。

今日から3連休。

やばい、やることがない。

で、歩きながら思ったの。

お金のためにだけに仕事しちゃいけないし、お金のために仕事しなくてはいけない。

 

僕らって、仕事を選ぶとき、んまぁ選べないことの方が多いのだけれども、お金だけで選んではいないはずだ。仕事を、やりがいだけで選んじゃダメだ。だって、それはたぶん自己満足でしかないから。でも、お金だけで選んでもダメだ。それは価値を、価値観を他人にゆだねてしまうから、自分を失ってしまう。

お金って言う価値の基準を維持しつつ、自分のやりたいことをしっかり探さないといけないんだと気づいてしまった、ってか知ってたけどやっと言葉にできた。

当たり前のことなのかもしれないけどね。