とあるストーリーと言うか風景を思ったんだ。
感動する話 泣ける話 「さだまさし 償い」 【感動する話 涙する曲 歌 泣ける歌の話】
罪は償いきれない
罰を与えられたとて
許されるわけではない
本当の罰は、それを自分で罪と認めたときに始まる永遠の業苦なのだろう
人生において、ふとそんな時が訪れる
過去に自分がやって
他人からなじられても、責められても反省できなかった
いろいろなこと
あるとき
そんなことが、とてつもなく大きな後悔になる
取り返しのつかないような後悔
後悔ってのはだいたいそんなものなんだけどさ
それでも、きっと人はそうして後悔できることを
自分の罪に気付けたことを後悔はしないのだろう
いや、しちゃうのかな時々は
それでもきっと一度変わってしまった価値観はそう簡単には
戻らない
それが責め苦であり償いであると思えばこそ
シューシュポスは岩を押し続けられるのだろうし
酷い言い方をすれば、償うことで、その行動に意味を
与えているのだと思う
不幸が不幸な人を裁くとき
その罰は始まっていて、自ずから罰を執行する
不幸が幸いなる人を裁くとき
やはりその罰は始まっていて、ただ幸いなる人は気付かない
そして、やがて幸いなる人が価値観のコペルニクス的転回を
迎えるときにその罪と忌避してきた罰からの苛烈な責めに
苛まれる
仕事帰りに喉が渇いたからと言って
チューハイ買うようになっちゃった自分の変化にw