ゼノン石川さんでもなく、CPUでもなく、哲学者でもなく、ゲームのことです。
ゲーム評論については、最近いろいろあったみたいので、ちょっと怖いのだけど。
Xenoシリーズについてです。
XenoGearsはやった。だから大いに語らせていただこうw
スクエア系のゲームが映画化してて評判がいまいちだったころ、ゼノギアスは生まれた。FFと同系列というか、最初はFF7の候補だったらしい。
あらすじは、ん~難しい。とにかく、難しいゲーム。操作とかストーリーとかじゃなくて言葉がね。イドとか精神分析学の言葉が出てきたり、時代軸がいろいろあってそれらが集約されてくので、一言で言えばめんどくさい。それでもあえて3行でまとめてみると。
ロボット操って、古代文明や現代の戦争、さらには遺伝的な問題とか、ナノマシーンが出てきてそりゃもう大騒ぎさって感じなんだけど、でも犯人はコンピュータで、2001年宇宙の旅みたいな感じ。
我ながら乱暴。でも間違いじゃないはず。
ディスク2枚組みで発売されて、2枚目がちょっと残念な感じだけどね。でも僕はあれはあれでよかったと思う。
それ以降のXenoシリーズについては、実況動画でしか見てないのだけど、Gearsと同じくまぁ創りこまれてますね。
で、僕がこのエントリで言いたいことはこれ!
「ゲームは映画化しているんじゃなくて、ゲームという表現方法が生まれたんだ」
Xenoシリーズやメタルギアシリーズはその映像の美麗さも注目のゲームだけど、やっぱりストーリーでしょう。FFもドラクエも悪くはないのだけど、方向性が間違っていっているというか、マネタイズにブランドを売り払ってしまったというか、ハリウッド化している。一方でXenoシリーズはヨーロッパ映画のような、芸術としての意地じゃないけど、大衆に迎合していない作家のこだわりってのが随所にみられている。ユーザーに媚びていない感じがする。
もちろんね、ゲームってのもそれを作って売るのが企業なわけだから当然利益を追求するんだろうけど、儲けるために開発されるゲームはかわいそうだ。
ファイナルファンタジーが当時倒産寸前のスクエアの「最後のファンタジー」という意味が込められたタイトルだと思うと、その寂しさは一入だ。
当時はファンタジーを作りたかったんだろう。
今はヒット作が欲しいのですか?