文化とかって、僕にはわからないんだ。
でも、なんか、理性的に考えて納得するのに、取れない決断とかにはきっと文化とかって言う訳のわからない同調圧力がかかっているんだと思う。
それはつまり、僕が僕である事の最低限の理性的な説明になるんだと思うのだけれども、ぶっちゃけ、意味の有る無しで言えば、全くもって意味の無いモノなんだとは思う。
例えば、自分の愛する人が人類を絶滅させる存在だったとしなよ。もうこの段階で中2病全開だけど、もう少し付き合って。
彼なり彼女を救う事と、人類って言うなんか良くはわからないけど、自分が属する、属性、あるいは定義を天秤にかけるんだよ。
そう考えた時に、僕らってどうすべきなんだろうね?
概念と感覚の争闘。
感覚というよりはきっと、もっと根源的に個人が意識出来てる、世の理なんだろうとは思うが、とにかく、誰もが納得するような、科学的な真理性は無い、確信との争いなんだと思う。
いやさ、結局のところ何が正しいとか、そんなものが無いって、そこから始めないといけないんじゃないかと、僕は思うのだよ。
要するに、中二病的な善とか悪とかのベクトルは、社会って言う、なんか良くはわからないけど、共有してるっぽい価値観には必要なんだろうけど、実はそれが、単なる物理法則のエミュレーションでしかないと言うのを認めるとこから始めるべきじゃねぇかなと。
彼は言った。
過去は運命で、変えることは出来ないように思える。
でも、未来には運命なんて無くて、今の君が作るものだ。
そして、作られた未来によって、起こってしまった事は変えられないけど、その意味を、運命と言うストーリーは変えることが出来る。
でなけりゃ、生きている意味、薄く無い?