備え、なのだが、多分だけど、僕を知る多くの人にとっては、誤解を招く、文言をこれから記そうと思うのだ。
先の健康診断にて、僕は多血症の疑いがあり、再検査が必要なのだけれども、僕の中では、ある種のストーリーが出来上がっていてね、前日からの絶水による、誤診だと確信している部分があり、積極的には再診を受ける気にはならないのだ。
ただ、ただこの判断、おかしくないか?と自分でも思うのだ。
いや、誤診だと確認するためにも、僕は再診受けるべきじゃね?
それをさ、忙しいやら何やらって理由つけて、積極的になれないのは要するに、僕の生に対する執着の問題なんだと思うのだ。
オジサンは最早、未来を夢見る時を終えて、如何に穏やかに死を迎えるかっていうテーマを理解出来る程年老いた。
ただ、それをさ、今の自分の目標にするにゃ、若すぎて、糸の切れたタコみたいさ、吹かれる風次第な生き方してる。
後悔も無いし、恨みも辛みも、自分自身に関しては無いんだ。
でもね、僕が愛した子供達。僕の子供達。彼らに残す世界として今の世界を、僕は納得出来ずにいるんだ。
僕自身は幸せだったよ。
でもね、僕の子供達には僕が受けた、なんのトレードオフも無く得た幸福さえ得られない子供達がいた。
だから、僕は願うんだ、心の底から僕が誰かの為に生きられることを。
だから。死んでしまいたいのだ、僕は。僕はもう僕でいたくない。