幸せか?と問われると、すぐには「はい」とは言えない。
かと言って、自分で自分を不幸だとも思っていない。(他人からみたら不幸かもだけど)
それは、まあいい。自分のことだから。
僕が迷ってしまうのは、子供たちのことだ。
僕自身には子供はいない。(はずである)
何の因果か、人様のお子様に接する仕事をさせてもらって、彼らの将来について尤もらしいことを言っている。
でも、それを自分で信じられていない。
勉強ができるのは悪い事じゃない。
でも、できないからってそれが人生を決めるものとは思えない。
それでも僕は言わなくてはならない。
仕事として「勉強はできないと困るよ」と。
でも、「勉強して、いい大学行って、いい会社入れば幸せだよ」とは言えない。
たぶん僕の精一杯の良心なんだろう。
勉強ができたらからって幸せになれるとは限らないから。
僕は僕の人生しか生きられない。
だから他人の人生を見て「いいなぁ」とは思うこともあるけど、
その人が幸せなのかはわからない。
仕事を終えて、帰りの電車で見るくたびれたサラリーマン。
電車のドアにもたれかかって立ちながら寝てしまう人もいる。
恐らく僕よりも10~20歳も上の人。
その人はもしかしたら幸せなのかも知れないけど、自分の10年後20年後の姿として、「いいなぁ」とは思えない。
子供たちに「何のために勉強するの?」と質問すると殆どがこう返してくる。
「将来のため」
子供たちは自分達の将来がどんなものになるのか、どんなものにしたいのかもわからないのに、言うんだ。
「将来のため」と。
子供の考える将来、それが輝かしいものであればあるほどきっと子供たちは頑張れる。
子供たちは何を見て、自分の将来を想像するのだろう?
それは僕たち大人だ。
僕たち大人が幸福そうでなければ子供たちの将来は輝かない。
だから僕は大人が幸福であることを願うんだ。
まずは自分が幸福であろうと思う。
そのために僕は行動を起こさなければいけない。