幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

不都合な事実

東日本大震災から13年。

最近読んでるハゲタカのシンドロームがまさに震災の話だし、能登地震の後、今年は3月に入ってからの報道はなんとなく福島と絡めた報道が多いように感じる。

で、思い出したのだけれど、地震の発生地域と原発設置地域の一致には不都合な事実があるのだと思う。

塾の先生をやっていた時、痛感したのは商売は立地が大事だということ。特に、飲食や病院、美容院、そしてもちろん塾のような場を含めてサービスを提供する場合、立地は非常に大事な要素だ。いや、むしろ殆どの商売の場合、立地で決まると言ってもよいだろう。

塾の新規開校を手掛けた時にお世話になったのだけれども、テナント物件を専門的に紹介してくれるサービスがあった。もちろん、塾専門って訳ではなくて、おそらくは各業種ごとに適切なテナントを紹介してくれていた。その担当者に聞いた話ではあるけど、塾と歯医者の要件はほぼ同じらしい。実際、僕が手掛けた教室の殆どが歯医者が同じ建物の中に入っていた。

塾と言うのは、大抵の場合、地域に子供の多い地域に展開する。公立の小中学校には学区というものがあり、学区の境目近くで、人口集中地区にテナントを求める。そして、学区の境目付近を狙うことから、幹線道路沿いであったり、川近くであったりと色んな地域でも共通した環境になることが多い。そして、歯医者と塾は美容院や飲食と違い、テナントのインフラ的な制限を受け難い事から似たようなマーケットで営業していることもあり、同じ建物に入っているケースが多いのだと思う。そこには、テナントビルのオーナーの思惑もある。飲食に比べると圧倒的に建物への負荷が少なくなるのも塾と歯医者だ。似たような理由で、おそらくではあるけど、予備校や専門学校のロケーションとキャバクラなどの非調理系の飲食店のテナント事情にも共通点があると思う。

で、原発地震の発生地域との関連性だ。

おそらくは、原発が建設された当時、既に過疎化が進んだ地域だったのだろう。そして、地域の活性化を切望していた地域なのだと思う。

ただ、地域が過疎化するには理由があるのだ。そもそも、鉄道等のインフラは遍く通されるけど、拠点たる駅は自然災害や環境などの影響を受けづらいところに作られるし、そもそも人が集まるのはそう言うところなのだと思う。そうなると、基本的に、過疎化している場所というのは、人がいないから過疎化しているのではなくて、そもそも人が住むのに適していないから過疎化しているのだ。

自然災害も、原発事故も滅多には起きないけれど、起きると壊滅的な被害が出る。同じ性質のリスクが集中してしまうのは、かつてのリスク管理から言えば当然のことなのだと思う。

原発が安全なのならば皇居や国会議事堂、国会議員宿舎や、公務員宿舎に併設すれば良いのだと思う。なんなら僕の家に作ってもらっても良い。せいぜい80坪程度の我が家だけれど、万が一の事故が起きた時に、災害範囲がその範囲内に収まるのなら僕は喜んで原発を、誘致する。

記憶が曖昧だけれども、小説の中に銃弾が出てきたらその銃弾は、発射されるという言葉がある。

事故は起きる。

それがいつなのか、どれほどの規模なのかがわからないけど、事故は起きる。

ダメージコントロールって考え方が大事なんだと思う。

突然話変わるんだけど、人は本当に平等を求めているのだろうか?

思うのだ。強制的にでも全員に高等教育を施したとしてそれが平等をもたらすだろうか?比較可能なスケールがある限り誰もが知的労働をすることにはならないだろう。知的労働と肉体労働のどっちが良いと言うのはないけど、知的格差が肉体的格差程度に収まらない限り、知的労働の方が稼げる状況は変わらない。つまりは、コントラストの問題なのではないだろうか?

これも、不都合な事実だろう。