幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

恥の多い人生を送ってきました。

と、始まるのは、太宰の人間失格だったかな?

 

太宰と言えば、中学生だった僕は初めての一人旅(と言っても日帰りだけど)を、太宰の故郷である金木まで、父と行った秋田旅行の際にキメていた。父の故郷である秋田ヘ父の勤めていた会社、まぁオジサンの経営する会社だったのだけれども、その会社が秋田に工場建てるってんで、その下調べを兼ねて、当時50チョイ手前の父と中学2年生だった僕は秋田へと向かったのだった。

 

世間に言う中2病に罹患していた僕は、性にも目覚めていながらも、まだまだ子供っぽくって、父との二人っきりの旅行にワクワクを禁じ得なかった記憶がある。でも、そのワクワクの一部は発症していた中2病故に、当時ハマっていた太宰や村上龍に対して、同じ地平にいると言う勘違いを元に、自分がなんかのの才能があるんじゃないかって確認する為に、太宰の故郷である金木に行く事を心から楽しみにしていた。

振り返ると、僕は時々、とてつもない行動力を発揮していたと思う。この時も父が秋田に行くと聞いて、自らすすんで連れて行ってもらおうと掛け合った気がする。その時は、父との旅行にもワクワクしながらも、太宰の故郷にある資料館に行けることが何よりも楽しみだったのだ。

多分、当時の僕はきっと太宰の物語なんて理解はできていなかったと思う。走れメロスなんかはわかりやすいけど、人間失格なんて何が楽しいのかわからないし、ただただ人間の重く暗い、本当の姿を見せられているようだった。

時々感じる。僕らが目指す「べき」ものと、現実との乖離。僕はさ、未だに、何が幸せなのかはわからないし、他人の笑顔と自分の笑顔の間にある意味の違いを感じてしまう。

子供を教える立場になった時、心から子どもたちの為に何でもしようと思った。でも、慣れてきたら、いつしかそれはビジネスになっていてさ、効率と利益、それが大事だった。僕自身も、ある大きな仕組みの一部に成り下がっていた。

 

飽きるんだよね。飽きてしまったんだよね。不人情だと、自分でも思う。でも、正直なところ、飽きるんだよ。

 

幸いにも?不幸にも?僕はさ、クスリのもたらす快楽のすべてを知らない。ガンジャキメてフラフラしたことはあるけど、それ以上はなくてさ、きっとガンジャもやがて効かなくなるんだろうなって思った瞬間、リスクが増大したんだよね。それ以上吸ったり、水パイプやったって、それで得られる快楽や、救いと、死なない事を前提した際のリスク計算が、どう考えても割に合わない。ある意味で、賢いと自画自賛してしまうのだけれど、でも、それさえ、その感覚さえも、自信がないんだよね。そうなんだよ、僕はさ、クスリが悪いなんて、思っていなくてさ、自分にとって必要が無いと思っているだけなんだ。

 

でもさ、芸能人やら著名人がさ捕まるじゃん?繰り返し。だから時々思ってしまう、アレ?もしかして、僕はクスリに強いのか?と。

 

初めてエッチした時に感じた、こんなものか感。と似ているのかも知れない。

 

他人を傷つけてまで満たしたいと思える程の強い快楽は無かった。

 

年齢的な問題なのかもしれないが、今はさ、どんな良い女が抱けるとしても、23時以降はお断りだ。眠いから。

 

この価値観がさ、肉体的な変化によってもたらされたものなんだってのは自覚してんだけどね、それを自覚するとさ、結局のところ、何もかもが相対的なんだって思うのよね。

 

何を書きたいのかな?ブレーンストーミングだね。でも、それで良いのかな?僕らはきっとウンチ製造機で、死ぬまでウンチを製造するために生きている。ならさ、人はもっと、ワガママになって良いのではないか?