なんて言ったら良いのかわからないけど、ほら、あるじゃない?言葉では説明できないのだけれど、なんとなくわかったつもりになってるって言うの。
業って言葉が僕にとってはまさにそれなんだな。
仏教用語なのかな?元々は?
僕が理解している限りの意味としては、なんか仕方ない罪って感じ。
例えば、命を大切にね!って言っておきながら、生きる為には他の命を奪わなければならない、みたいなものを業と言うと思うのだけと、どうだろう?
もしこの解釈が正しいのなら、この主題の論点は結局、どんなルールを不可侵なものとするかによって変わって来ると思うのです。
例で言えば、命を大切にね!ってのが自分だけの命についてだったら、なんのジレンマもない。でも、全ての命って言い始めると、業が生まれる。あ、つまり業ってのはジレンマなんだと思う。
で、今日僕が言いたいのは、業っていう、ちょっとカッコ良さげな言葉で繕うが、要するに、不満なんだな。
今の職場は社是として、みんな仲良く!ってのがあるのね。僕も、そこは大事だとは思うのだけど、同僚との仲の良さと顧客との関係性とか、嘘になるかならないかギリギリの誤魔化しとか、そう言ったものと天秤にかけた時に、僕は社是より自分のルールを優先しちゃうんだ。
結果として間違いだと思うこともある。いや、むしろそんな思い出ばかりだけど、でもね、やっぱり同僚庇ってお客様を非難するような論調には同意したくないし、僕には出来ない。
要はさ、きっと、極論だけど、どっちかが死ななきゃならないみたいな選択肢を突きつけられて、相手の死を願えるかどうかってことなんだと思う。
会社の中で生きてゆくのに、本来の自分を殺してでも従うのは業なんじゃないかな?って思ったので書いた。反省はしていない。
明日の収入を約束された人は、その約束を信じるなら冒険はしない。信じられない人や、本気のバカしか冒険はしない。
僕は最近、自分が本気のバカだと自覚始めている(笑)