幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

違和感

ベッキーに始まり、連綿と続く著名人の不倫問題。芸能人だけでは飽き足らず、政治家までもがその対象になっている。政治家といえば、かつて、愛人騒動で辞任した総理大臣もいたが、愛人を持つことと、不倫との違いは何なのだろうか?もちろん、そこには金銭的な契約関係と想いのみによって繋がる関係との違いがあるのだろうけど、やってることは同じだ。そんな事を言い始めてしまえば、芸人さんたちの風俗トークだって、やってることベースで考えれば非難されても良いような気がするのだが、どうなんだろうか?

一方で、北野武とか、公然と不倫関係にあるネタを軍団員がベラベラと喋っていても話題にすらならない。

 

女性芸能人や女性議員、国会議員なんかに比べると、男性芸人の不倫に対する世間の風当たりが弱く感じるのも、ちょっとした違和感。

 

僕自身が決して倫理的に素晴らしい人間ではないから、他人の不倫に対して厳しい批判を出来ないというのもあるのだろうけど、本来犬も食わないような他人の諍いごとに、ここまで外野がとやかく口出しするのはどういった理屈なんだろうか?

 

週刊誌のスクープもよくよく考えて見れば著しい肖像権の侵害だろうし、文春砲なんて言って、さも正義の味方ヅラしてるのも気に入らない。もちろん文春がそう名乗っている訳ではないのだけれども。

 

思うに、炎上エンタテイメントなんだと思うのだ。火のないところに煙は立たないから、ちょっとでも煙がたてば風を送り煽る煽る。やってることはがどこぞのユーチューバーと変わらない。

 

なんかこれっていじめの構造によく似てる。いじめって、加害者の加害者意識の希薄さが問題だと思うの。でも、仕方ないよね、本当に悪いなんて思っていないのだから。からかっているつもりだった、あいつにも悪いとこがある、○○くんがやってたから、etc

 

不倫できる程の太い神経を持っている人たちだろうから、報道によって不倫してる人たちが気を病んで自死することは無いのかもしれないけれど、もしそんなが起きれば、大衆はあっさりと掌返して週刊誌を責め立てる。

 

罪を憎んで人を憎まずって言葉があるけど、不倫やいじめられるキッカケって罪ではないから、人を憎んでしまうのだろうか?

 

日本人は公平好きだから、自死に追い込んだ責任も公平に分散させちゃうのかな?

 

いじめによる自殺が今年も多くの人発生してしまった9月のとある日に、隣の国家から子供じみた脅しをかけられていること以上に、さしてきれいでも、イケメンでもない中年男女の秘事に興味を持つ大衆。

 

美しい国、にっぽん。

 

そう、心から思えるようになるのだろうか?