幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

人の世界

これまた、大上段に構えたタイトルで語り出すのだが、内容は、どうしょうもないことかも知れない。

 

要するに、政治家や、そのスキャンダルは明日を生きる人にとっては大事件だけど、今日を生きる人にとっては、今日を必死に生きる人にとっては、松井なんたらさんの動画程度の価値しかない。

 

お幾つかは知らないし、お二人のご結婚が何年続いた関係かなんてのも興味はない。ただ、ただ二人の結婚は経済的な物差しの上に上げられて、そこで争うしかない程に、拗れているのだろう。

 

そんなもんは勝手にやってほしい。

僕の人生には関係が無いから。

でもね、ここに、ある種のパラドックスっていうか、真実がある様に思うのだ。

 

本来、犬も食わない様な話に、多くの人が食いついている。

 

爺様、婆様のセックスなんて映像として想起したくも無いイメージだけどさ、でも、きっとその情念、我儘な情念は、自分の醜い、と思い込まされている情念を支援してくれる。

 

例の老女が、自分の夫たる人の不貞に対して不満が故に現在の行動をとっているのなら、そこにはフランケンシュタインのような、憐れむべき情念を、認めることができるかも知れない。でも、どうやらそうでは無くて、単に、ヨーグリーナやBossカフェ・オ・レのような、ある種の炎上商法なのだろうと思える、様々な情報が飛び交うのだ。

 

で、何が言いたいかと言うとだね、カケなり、モリなり、インペイなり、日本の政治に絡む様々な問題があるけど、果たして、それに真に怒れる人間がどれほどいるかって話だ。

 

幕末維新の頃に、流行したと言うええじゃないか運動。今、まさに必要なんじゃ無い?

 

いろんな問題にさええじゃないかって言って見てさ、ええじゃないかって言えない問題が今のホントの問題じゃないのかね?

 

で、思うのさ、それが、そのことを政治家が意識しなくなっちゃったのって、良くも悪くも、、人々の世界が重なら無くなってしまったからじゃない?

 

ミルフィーユのような世界観、僕はそれを日々感じている。