と言うのは、現代では最早、突飛な発想ではないのだろう。現に今朝、僕は、手に銃を持っていれば、その引き金を引ける自信があった。
ただ、その銃口が、人に向いていたら、躊躇したかもしれないし、手を血に染めてまで、人を殺す意思はなかっただろう。
でも、瞬間的に銃を握ってしまったら、その引き金は引いてしまえるぐらい、僕の想像力は狭くなっていたと思う。
ハッキリ言って、僕は多分、そんなに真面目には生きていない。人生を綱渡りのようなものだとは到底思えないし、かと言って、運命論を信奉する程のロマンティストでも無い。
ある意味で情報過多となった現代では、最先端の科学と、ライトノベルはその情報としての価値を同じくしているように思うのだ。
一言でライトノベルを総評すると、メインストリームにはなれない本当のメインストリームを口さがなく記述したものが、ライトノベルだと思う。
一方、科学なんかは、自壊作用を及ぼすのではないのかってくらいエビデンスを重ねて、尤もらしい事を証明しようとはしているものの、その実、証明しようとしているテーマは多分に夢のあるライトノベル的テーマだ。
僕は、決してライトノベルを揶揄するつもりはないのだけど、世間の評価、カテゴリ分けで言うところライトノベルは、多分、純文学に劣っている。
メロスが走ろうが、猫が語ろうが、あれらはきっとね、当時のライトノベルなんだと思うのだ。でも、最早それらは文学で、その作者の人間性がろくでなしだったとしても評価される。
ま、ある種の権威主義だろね。
結局だ、太陽が眩しかったからと言って、引き金を引けば、今で言うライトノベルに触発されて犯した犯罪になる。
で、数十年後、文学となり、英雄になる?
そんないい加減な世の中なら、僕はきっと生きやすい。