一応、先生と呼ばれた時期があって、それなりに慕われて、失敗もたくさんしたのだけど、振り返れば楽しい日々が、僕にはあった。
そんな僕が思うのだ。
教育ってのはいらない。
いやいるんだけど、目的を押し付けてはダメだ。
子供はさ勝手に育つよ。
僕はきっと世間一般で言う先生の中でも政治家の先生に近い汚い先生だけど、それでも、そんな僕でも、子供は勝手に学んでくれる。
反面教師でもいいんじゃないのかな?
どんなにストイックである人にとってはそれこそ神のように崇める先生だったとしても、反面ではきっと重苦しくて、堅苦しいトラウマを子供に与えていたかも知れない。
多数決的に良い先生悪い先生が決まる社会は病んでいる、と僕は思うのだ。それって自分じゃ良し悪し決められない社会ってことじゃね?
かつてマスメディアが世論を作れた時代ならそういうのも仕組み上仕方ないんだけど、今やこうして誰もがメディアを駆使できる時代。
東大まで行って、過労死しちゃう人生は、本当に可哀想だ。それ以外の人生だって選べただろうに。んでもって、その加害者企業がマスコミに強い影響力のある会社だからって表沙汰になるまで、時間がかかるっていうね。
どこぞの居酒屋チェーンならあっという間なのにね。
そういう世の中で、僕らは本音と建前を使い分けて生きてはいるのだけど、そろそろ自分自身を誤魔化せなくなってる人が多いのではないだろうか?
本能的って言うんじゃないけど、せめて自分に嘘つかないで生きて行ける世の中で、僕は、あって欲しいと願うのだ。
世の中がソドムやゴモラになったら困るけどさ、現実にはソドムもゴモラも点として存在している。そしてソドムにもゴモラにも、ちゃんと美しさはあるのだ。
久々にキレイなお姉さんとこ飲み行こうかな?w