いつだってぼんやりしてるって言われたらその通りなんだけど、書いてるときは自覚はない。読み返して思うんだ。
でも今は書く前からぼんやりしてるのを自覚しつつ書いている。
内と外とって言う話。
結局のところ、人が自分のことでも他人のことでも、言葉って言う枠組みやら要素やらそんなものを当てはめて形容して、そうして初めて頭の中で扱えるようになる。
自分が何者であるかを悩んだり、人との距離を上手くとれなくて悩んだり、いろいろあるんだろうけど、結局全部「そんなもんだ」って思っちゃえば解決する悩みなんだよね。
人はきっと勘違いしてて、物理法則でさえきっと、不確かなものなのに、人の世のルールが正確無謬で無ければならないと思っている。それを信じないと、僕らが努力と呼んでいるものは、ある観点において全く滑稽なものになってしまうから。
フジコフジオさんの漫画だっただろうか?学歴社会に対するアンチテーゼとして書かれたであろう漫画があった。
肉体労働こそ高いステータスがあって、体力至上主義的な価値観の世界。体の弱い人は「せめて勉強くらい」と言う世界。
そんな世界を僕はファンタジーとして読んだのだけど、それが完全なるファンタジーだと言い切れるだろうか?ほんの100年とちょっと前までこの国には侍がいて、人口もいまの1/4くらいで、そんな状態から今の世界を想像できただろうか?
その時代にだってきっと誰もが思っていたはずだ、その世界が未来永刧続くものだって。
でも僕らは髷もなけりゃ刀も持っちゃいない。
こうあるべきだってのはいつか壊れるんだよ。
それじゃ都合の悪い人が多くなればね。
だからきっとなんだけどね、自分の都合で生きていいんだと思う。もちろん節度は大事だけど、自分の思いを殺してまで我慢して、それでいい結果なるとは思えない。
例えばだ。アニメが好きだったらお洒落でないってこともないでしょ?ヲタクと呼ばれる人見たいな格好しなきゃいけないもんでもないじゃない?最近じゃ綺麗なヲタクさんも増えてるじゃない?
AS you likeでいいんじゃない?
自分が何者であるかを考えるより、自分がどう感じるかにフォーカスして素直に謙虚になりゃいいんじゃないかなぁ?