雑感です。
今日、出勤のため駅に着くと、電車が止まっていた。
人身事故だった。
その時の僕の正直な気持ちは
「ったく、困ったな遅刻しちゃう」
くらいなもんで、事故そのものよりも電車が止まっていることに対して意識が集中していたと思う。
でも事故現場が辻堂だと知ると、急に身近なことのように感じられて、少し動悸が激しくなった。運転が再開し、乗った電車が辻堂駅に停車するときには、いろいろと想像してしまっていた。
どんな人だったのだろう?
生きているのかな?
どんな経緯で事故になったのかな?
等々。
普段、電車が止まっていても、ただ単に帰る時間が遅くなったり予定がずれてしまうことにイライラするだけなのに、ただ発生現場が近いだけで、ここまで反応が変わってくる。想像力ってのは物理的な距離からも影響を受けるのだろうか?
と言うか、発生する人身事故全てに動悸を早くしていたらきっと僕の心臓がもたない。想像力が働く範囲にも限界があるのはある意味において防衛機構なのかなぁ?
大船に着いたら事故を起こしたであろう電車の窓ガラスが割れていた。
血は付いていなかったように見えたけど、どうか大した怪我でないことを祈るばかりです。