幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

Merry?

普段、英語の文章を読んでいても滅多に見かけない単語Merry

実は、今日の今日までその意味を調べたことがなかったんだけど、こんな意味らしい。

 

1

a

陽気な笑いさざめく 《★【類語】 ⇒happy 1》.

用例  
用例
用例  

3

【叙述的用法の形容詞】 《口語ほろ酔い機嫌で.

用例  

 

 

ん~知らなかった。

さて、先のエントリで書いた不安はどうにか解消されて、とりあえずほっと一安心。

でも、Merryな気分にはならず。

ま、仕事柄仕方ないことなのだけどね。

そんな寂しい気持ちから逃げるために、僕はまた考えるのです。

今、転職活動をしているのだけど、現職の繁忙期も重なってしまい全く動けていない状況だったりします。ってか、しょっちゅう繁忙期だから言い訳に過ぎないのだけど・・・この時期は精神的にも余裕もなくなってきてしまうのです。

よく僕は今の仕事を「サルの運転している単車の後ろに乗ってるようなもの」と言ったりします。酷い言い方なのだけど、でも自分でいくら頑張っても子供たちが頑張らないと思い通りのゴールには到達できないんです。で、自分が気張ってみても、それって結局自己満足にしかならないしね。それでも子供たちは可能性に満ちていて、そんな子供たちの未来を一緒に考えられることは愉しみではあるんです。その仕事を辞めようと思ったのは、自分の家族が欲しいから、なのかな?寂しいんだろうなぁ。

そんなこんなのところへ、祖父の病状が思わしくなく、どうやら認知症の症状が激しくなっているとか。母もいよいよ愚痴をこぼすようになり、僕への「実家帰って来い」と言う風当たりも強くなってきている。

 

 

巡恋歌だったかな?

「好きで~す、好きで~す、心から~愛していますよと~♪

甘い~言葉の裏~には一人暮らしの寂しさがあった~♪」

今ね、なんかこの歌詞が僕の心をざわつかせる。

今の僕の「好き」には単純なロマンティックな想いだけではないのかもしれない。

「恋なんてそんなもん」なんて言ってしまえばそれまでだけど・・・

今好きな人とは一緒にいると楽だし楽しくもある。

「僕は」なんだけど、黙っていても苦痛に感じないし、喋らなきゃって思って喋ったりもしない。自然体でいられて、気を使ってないわけじゃないけど、疲れない。

よくわからないのだけど、僕は人をどれだけ好きだったら結婚すればいいのだろうか?

と言うか、僕は本当に人を好きになっているのだろうか?

そう考えてしまうと巡恋歌のフレーズが頭を巡る。

 

そんな状況で昨日の事件。

考えたの。

一人暮らしして10年。

一度実家に帰ってみるかと。

実家へ帰ってみて、それでも、それでも会いたい、一緒にいたいと思えるのならきっとそれが僕の気持ちなんだろう。

 

で。考えたの。

 

西洋的な個人の確立。それって西洋の豊かさが生んだものではなかったのだろうか。

クリスマスと言う行事が玩具メーカーによって子供たちの楽しみにな日になったのも、戦後高度経済成長を終えた日本で発生したことだろうし、そしてさらに何故か恋人たちの日のようになってしまったのも、バブルを迎えた日本で発生したことなのだと思う。子供たちの楽しみにする日であるってのはまだわかるんだけどさ、でも恋人たちの日ってのは無理やりな気がする。でも、そうやって無理やりでも会う理由が欲しかったのだと思う。日本に限らず家族制度ってのは、基本的に個人の自由とは対立するものだ。クリスマスにプレゼントを喜んでいた子供たちがいつしか友達と、やがては恋人とクリスマスを過ごすようになるのは親としては寂しい気持ちもあるのではないかと思う。

そもそも、家とか家族とかってさ、もちろん血縁・情緒的な繋がりはあるだろうけど、それ以上に経済共同体なのだと思う。「庭付き一戸建て」なんて言葉が流行ったのはバブル景気も末期のころだったろう。僕はその頃に幼少期を育ったこともあり、自分もやがては親と同じように「庭付き一戸建て」の家を買うものだと思っていた。でも現実は、妻もいなけりゃ子供もいない、一人寂しい中年になって、相変わらず賃貸暮らし。たぶんローンを組めば買えないものじゃないのだろうけど、まだ僕は決して自分の生涯の仕事を決められていないし、買う理由もない。そして、今また転職をしようと言うことで、僕には残念ながら一人で完結するローンを組むことが難しくなる。もちろん抜け道はいくらでもあるみたいだけど、僕に残された道としてはキャッシュで買うことなんだろうなぁ。実はそれが一番賢いんだろうけどね、それだけのキャッシュをサラリーマンが貯めるのはかなり難しい。

決して僕が標準的とは言わないが、いや、むしろ今の収入は底辺近いのかもしれないが、でもきっと多くの人が同じような状況なのかもしれない。それでも、僕なんかはまだ恵まれている方で、まだ一人暮らしを、贅沢に送れている。(大して贅沢でもないのかもしれないが・・・)

それさえ叶わない人たちは?って考えた時に気付いちゃったの。

日本が、いや世界が貧しかったころって、経済的な共同体としての家族が最終的なセーフティネットだったんだろうなって。情緒的な繋がりで一緒にいたいと思えるのかもしれないけど、今のような個人主義的な感覚では、家族と言うものはそのメリットよりも制約の方が多く感じるかもしれない。

そして、それでも一緒にいたいと思える人ならきっと僕は本当に愛せているのだと思う。