幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

犯人逮捕で思うこと

やっと痛ましい事件の犯人が捕まりました。

無残ななくなられ方をしたのが本当にかわいそうでなりません。

そして、犯人に対する憤りはどう処理したらよいのかわかりません。

捕まったところで被害者が報われるわけでも、被害者の家族の気持ちが晴れるわけでもありません。

でも、僕は少しほっとしました。

これ以上きっと被害者周辺の人々が無駄に傷つけられる傾向は収まってゆくだろうと思えるからです。

 

風評被害」「二次被害」・・・etcなんて呼ぶのが正しいのかはわかりませんが、今回の事件でも、ネット上ではいろんな”推理”が出ていました。中には母親を疑うようなものまで・・・なんかね、そういう書き込みなんかを見ていた僕がこんなこと言うのは捕まってみてからの後出しジャンケンみたいなものなのかもしれませんが、クイズ番組みたいな感覚で予想していたようで、本当に胸が悪くなる。

本物かどうかはまだわかっていませんが、「犯人によるもの」と言う体で書かれた掲示板への書き込みもありました。実際であれ、偽装であれ、どちらであっても本当に不愉快。

逮捕後、我々「部外者」は犯人のプロフィールに興味を持ちます。

名前、職業、年齢…etc

僕らがそれを知ったところで、どうなることでもないのだけど・・・

再発防止のために、何かを考える参考に、とでも言っておけば一応の理屈は通るのかもしれない、けど実際に再発防止のために役に立つ情報ってあるのだろうか?

そして、僕が一番不愉快なのは、まとめサイトとかで囁かれるヘイトを誘うような書き込み。もう最近は何かとこじ付けでもそっちに繋げる風潮。もうお腹いっぱい。吐き気さえしてくる。

そして恐らく、僕が一番嫌悪しているのは、それが信念として行われているのではなく、恐らくはある種のコマーシャルな意図がある点。

僕自身もadsenseつけてるから批判できる立場じゃないんだけど、なんかね、ネット上の情報が「マスコミ化」しているように感じる。

マスコミは大衆の望むものを追い、時に行き過ぎる。ネット上の情報もきっと同じ理屈なんじゃないだろうか?

90年代後半にネットの普及が進んで行った頃は”匿名性”が持つメリットとデメリットを考えたときにメリットの方が大きいように思えていた。権力に対する抑止力としてネットの世界が働く可能性を信じていた。でも、FaceBookとか出てきたあたりからネットと言うものが単に都合の良いコミュニケーション手段になり、Googleさんがコマーシャル傾向を強めていくと、匿名性のメリットよりもデメリットが目立つようになってきた感じがする。

なんか、上手く説明できないのだけど「悪貨は良貨を駆逐する」って構造と同じではないかと思う。

ん~何を言いたいのかうまくまとめられないのだけど、つまり僕が言いたいのはきっと事件がエンタテイメントになってませんか?ってことなのかなぁ?